市原市立姉崎東中学校
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市原市立姉崎東中学校(いちはらしりつ あねさきひがしちゅうがっこう)は、千葉県市原市姉崎にある公立中学校。文部科学省の学校コードはC112210002235、旧学校調査番号は123917で、教育開発出版の所属中学校コードは120344[2][3]。通称は姉東(あねひが)、東中(ひがしちゅう)[4][5]。
注釈
出典
- ^ “千葉県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 2018年8月14日閲覧。
- ^ “学校コード”. 文部科学省. 2022年12月22日閲覧。
- ^ “千葉県所属中学校コード”. 2022年8月20日閲覧。
- ^ a b c d “姉崎東中学校だより「飛耳長目」令和4年7月”. 市原市. p. 1. 2022年9月3日閲覧。 “姉東”
- ^ a b “広報あおば 2021年10月”. 市原青葉台町会協議会. p. 2. 2022年9月3日閲覧。 “東中”
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w “市原市立姉崎東中基本情報”. 市原市. 2021年8月18日閲覧。
- ^ 防災アセスメント調査及び防災地区別カルテ作成業務『市原市地区防災カルテ』市原市、2009年3月1日。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au “市原市ホームページ -姉崎東中沿革-”. 市原市ホームページ. 2020年4月30日閲覧。
- ^ a b “窓ガラス19枚割られる 市原の姉崎東中”. www.chibanippo.co.jp. 2022年7月23日閲覧。
- ^ a b c 昭和58年4月30日施行姉崎東中学校校則第3条第1項服装についてより
- ^ 市原市立姉崎東中学校平成31年1月30日改定施行校則第3条第5項
- ^ 平成13年度施行生徒会規約第15条より
- ^ a b c d “市原市公共施設カルテ学校教育施設”. 市原市. 2022年8月25日閲覧。
- ^ a b c d “部活動”. 市原市. 2020年10月14日閲覧。
- ^ 通学区域一覧.
市原市立姉崎東中学校
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「市原市の中学校一覧」の記事における「市原市立姉崎東中学校」の解説
京葉工業地域造成に伴い全国からの転入者家族が増加し、隣接する市原市立姉崎中学校の生徒数が増加したため、1978年に姉崎住宅団地(有秋台)を主な学区とする市原市立有秋中学校を分離開校させたものの、1980年初頭には姉崎中学校の生徒数が各学年500名(13学級程度)、全校1,500名を慢性的に超えていたことから、1983年4月、当時人口増加が顕著だった青葉台団地を主な学区とした当校が姉崎中学校から分離、開校した。 開校当初は3年生は在籍しておらず、1,2年生のみの在籍で全校生徒数433名であった。また、開校した1983年4月には校舎がまだ完成しておらず、同年9月の2学期開始までは姉崎中学校の校舎を借りて授業を行っていた。立地は分離元である姉崎中学校から道路を挟んだ場所で、現状の生徒数から見るとかなり不思議な状態になっている。生徒数は最低であった2019年4月には、1年生59名、2年生53名、3年生48名の160名となり、開校して間もない1984年の689名の約25%程度まで減少している。 学業成績が良く、全国学力状況調査においては市内平均を30%近く上回り、全国平均も15%程度上回るような成績を残している。2019年11月20日には、南房総教育事務所学力向上交流会が本校を会場として行われた。 部活動の近年の成績は、女子バスケ部が平成30年市総体優勝、男子バスケ部が令和3年市新人優勝、女子バレー部が令和元年市新人優勝、同部が令和3年市総体準優勝、女子卓球部が令和元年市総体総合ダブルス優勝となっている。過去には、男子バレー部(休部)が市内大会では優勝常連であった他、2007年には水泳、柔道で全国大会へ出場している。 通学区域 青葉台1 - 8丁目、姉崎の一部
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