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巡見使
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/07/09 15:53 UTC 版)
巡見使(じゅんけんし)とは、江戸幕府が諸国の大名・旗本の監視と情勢調査のために派遣した上使のこと。大きく分けると、公儀御料(天領)及び旗本知行所を監察する御料巡見使と諸藩の大名を監察する諸国巡見使があった。
- ^ これらの6大名は本来は外様大名の家系であるが、幕府の役職を歴任しており譜代大名並みの待遇を受けていた。
- ^ ただし、副使については2名とも小姓番あるいは書院番である事も稀にあった。例えば享保元年に陸奥・出羽・松前に派遣された諸国巡見使の場合、正使曾我長祐は使番であったが、副使である小笠原長重・高城清胤はともに書院番であった。
- ^ 監察する諸藩への過重な負担を避けるために寛文の制において、1,000石以上は30名まで、1,500石以上は35名まで、2,000石以上は40名まで、2,500石以上は45名までとする従者の定員があった。
- ^ 徳川吉宗は将軍に就任したその日のうちに発遣令を出し、以後の将軍は就任から1ヶ月以内に発遣令を出している。
- ^ 御料巡見使は正徳6年に派遣されており、その巡見中に家継が病没している事から、諸国巡見使の計画もあったものと見られている。
- ^ 幕府はこうした接待を度々禁じ、また正使・副使が動員出来る従者の数の厳守を命じたが、状況の改善には至らなかったという。
- ^ 五島は令制国では肥前国に属するが、江戸時代には単独で藩を形成していた。
- ^ 志摩が含まれていないが、恐らく隣国の伊勢と一括で扱われたと思われる。
- ^ 蝦夷地のうち和人支配地に相当する部分。
[続きの解説]
「巡見使」の続きの解説一覧
- 1 巡見使とは
- 2 巡見使の概要
- 3 巡見使に対する監察
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