かわごえ‐かいどう〔かはごえカイダウ〕【川越街道】
川越街道
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川越街道(かわごえかいどう)とは江戸時代から(一部)続く街道である。江戸日本橋より中山道を進み、江戸四宿の1つ板橋宿の平尾追分で分岐して川越城下に至る。伊能忠敬「大日本沿海輿地全図」では実測、10里34町33間半(約43km)だった[1]。
注釈
- ^ a b 『新編武蔵風土記稿』の上板橋村に、「当所は川越道中の馬次」とある[5]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』、内務省地理局、1884年、の下白子村には、「河越街道」とある[7]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の下練馬村に、「当所は河越道中の馬次」とある[8]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の下白子村に、「東は白子の駅家あり」「小名 白子宿 村内河越街道入口の宿」とある[7]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の膝折宿に、「川越街道村内に係り馬継の宿あり」とある[9]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の大井村に、「河越城に至る街道の宿駅」とある[10]。
- ^ 例えば練馬区北町の旧川越街道沿いの北町浅間神社にも馬頭観音がある
- ^ 『江戸名所図会』『新編武蔵風土記稿』は野火止を膝折宿と大和田宿の間の宿としている[13][14]。
- ^ 大和田字鬼鹿毛。新座市指定有形民俗文化財(彫刻)[15]。
- ^ 四つ叉通り、遊座大山、ハッピーロード大山、上板南口銀座、北一、きたまち商店街の6つ。そこに店がまばらな下頭橋を含むなら7つ。また連続している商店街、北一・きたまち、四つ叉通り・遊座大山・ハッピーロード大山をそれぞれ一つと数えるなら上板南口銀座を合わせ3つ、下頭橋を合わせるなら4つ。
- ^ 群馬県下仁田町での呼称
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の「塚越村」に、「秩父辺及び西上州へ行く道にて石井村と当村で伝馬の役を勤めり」とある[20]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の「石井村」に、「川越城下より上野国或いは秩父大里の方へ行く路にてここは駅家なり」とある[21]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の「高坂村」に「当村は(中略)江戸より川越にかかりて秩父郡の辺及び西上州へ往く馬継なり」とある[22]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の「菅谷村」に「秩父郡或いは中山道に出る脇往還にして人馬継立を成せり」とある[23]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の「志賀村」に「古くは菅谷村の内で、分村したのは寛文年中と伝えられ、菅谷村と共に人馬次立を行った」旨記述がある[24]。
- ^ 武蔵国児玉郡八幡山町。児玉郡児玉町を経て、現本庄市児玉町八幡山。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の「奈良梨村」に「西上州及び児玉郡八幡山[注釈 17]辺への通路にして人馬の継場なり」とある[25]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の「今市村」に「一条の街道は江戸及び川越より上州への通路にして当所はその継場なり」とある[26]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の「赤浜村」に「往還は江戸より川越にかかり上州への通路にて中山道の裏道なりかつ当所はその継場」とある[27]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の「小前田村」に「当所は江戸より秩父及び上野国への往還係りて(中略)数村へ又馬の継立をなし民家軒を並べて宿駅のさま頗る賑えり」とある[28]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の「広木村」に「当所は(中略)児玉郡八幡山町へ30町余の人馬の継立をなす」とある[29]。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』の「八幡山町」に「江戸より西上州へ至る脇往還の駅家」[30]、同「児玉町」に「八幡山町と隔月でその役を務めた」とある[31]。
出典
- ^ a b c 和光市民なら知っておきたい川越街道の真実 Archived 2016年3月4日, at the Wayback Machine.和光市
- ^ 東京都通称道路名一覧表 Archived 2016年3月5日, at the Wayback Machine.東京都建設局
- ^ 東京都通称道路名地図(区部拡大版) Archived 2016年3月5日, at the Wayback Machine.東京都建設局
- ^ a b “副学長室からの花便り第80便 歴史散歩(14) 川越街道(その3) 上板橋宿から下練馬宿へ”. 跡見学園女子大学 (2004年8月12日). 2017年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月5日閲覧。
- ^ 新編武蔵風土記稿 上板橋村.
- ^ “川越街道”. 三芳町ホームページ. 三芳町. 2019年9月3日閲覧。
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 下白子村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 下練馬村.
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 膝折宿.
- ^ 新編武蔵風土記稿 大井村.
- ^ 『練馬区史 現勢編』北町地区より。
- ^ “副学長室からの花便り第82便 歴史散歩(16) 川越街道(その5) 膝折(ひざおり)宿”. 跡見学園女子大学 (2004年9月1日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月4日閲覧。
- ^ 江戸名所図会 1927, p. 77.
- ^ 新編武蔵風土記稿 野火止宿.
- ^ “鬼鹿毛の馬頭観音”. 新座市ホームページ (2016年11月25日). 2019年9月14日閲覧。
- ^ ワースト2:池袋六ツ又交差点日本損害保険協会
- ^ “交通事故多発交差点マップ(平成23年データ準拠)東京都ワースト4:池袋六ツ又交差点”. 日本損害保険協会ホームページ. 日本損害保険協会. 2019年9月3日閲覧。
- ^ “交通事故多発交差点マップ(平成27年データ準拠)東京都ワースト1:池袋六ツ又交差点”. 日本損害保険協会ホームページ. 日本損害保険協会. 2019年9月3日閲覧。
- ^ “典型的な交通事故事例”. 警視庁ホームページ. 警視庁総務部広報課. 2016年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月3日閲覧。
- ^ 新編武蔵風土記稿 塚越村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 石井村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 高坂村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 菅谷村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 志賀村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 奈良梨村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 今市村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 赤浜村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 小前田村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 広木村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 八幡山町.
- ^ 新編武蔵風土記稿 児玉町.
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