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崇源院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/09 18:27 UTC 版)

(お江与 から転送)

崇源院像(養源院蔵)

崇源院(す(そ)うげんいん、天正元年(1573年) - 寛永3年9月15日1626年11月3日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。一般には(ごう)、小督 (おごう)、江与(えよ)として知られる。位階従一位

浅井長政の三女で、母は織田信秀の娘・織田信長の妹)。いわゆる浅井三姉妹の一人で、長姉の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、次姉・常高院(初)は京極高次正室。猶女鷹司孝子がいる。

最初の婚姻相手は佐治一成だが、秀吉によって離縁させられる。2度目の婚姻相手は秀吉の甥・豊臣秀勝で、娘の完子が生まれたが死別。3度目の婚姻相手が後に江戸幕府第2代将軍となる徳川秀忠である。




  1. ^ なお、姉の茶々は永禄12年(1569年)頃、初は元亀元年(1570年)頃の出生であると想定されている
  2. ^ 鳥取県立博物館所蔵「佐治幾衛家譜」「佐治所平家譜」ともに未翻刻資料であるが関係部分は下記福田の著書[出典 1]に採録されている。
  3. ^ 鷹司家より婿養子
  1. ^ a b c d e f g h 福田千鶴『江の生涯』中公新書、2010年。
  2. ^ 信長公記』『総見記』『浅井三代記』、また美濃国守山城主で信長の叔父にあたる織田信次(江には大叔父にあたる)に預けられたともいわれている『渓心院文』。なお、この時に兄・万福丸は信長の命により殺されている
  3. ^ 『太閤素性記』『柳営婦女伝系』『玉輿記』。
  4. ^ a b c 小和田哲男『戦国三姉妹物語』角川選書、1997年。
  5. ^ a b c 瀧田英二『常滑史話索隠』1965年。
  6. ^ 戦国&幕末ミステリー、テレビ東京、2010年。


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