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すしゅんてんのう ―てんわう 【崇峻天皇】

(?-592) 記紀第三二代天皇漢風諡号(しごう)。名は泊瀬部(はつせべ)欽明天皇皇子穴穂部皇子対抗蘇我氏擁立された。のち蘇我馬子によって暗殺された。


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崇峻天皇

欽明天皇の第十二子
母は蘇我稲目の娘小姉君
578年用明天皇疱瘡崩御するとにわかに戦乱機運が高まった。
蘇我馬子物部守屋との対立は、先帝用明天皇のときにすでにはじまっていた。
穴穂部皇子三輪君逆斬殺により決定的となった。
物部守屋皇位を狙う穴穂部皇子押し立てて狩を名目に兵を集めた。
この様子をみた蘇我馬子炊屋姫尊を奉じて、佐伯連丹経手らに穴穂部皇子宅部皇子殺害させた。
これにより蘇我馬子物部守屋との直接抗争となり、蘇我馬子陣営は、炊屋姫尊(後の推古天皇)・泊瀬部皇子(後の崇峻天皇)・竹田皇子厩戸皇子(聖徳太子)らを味方とし、一方物部守屋陣営味方がおらず孤立したが、物部の名が示すように武力にかけては当代一流で右に出るものはないほど優れていた。
守屋一族と奴を率いて本拠の渋河に篭り応戦した。
激戦数度に及び、次第守屋劣勢は動かし難いものとなった。
そしてさしもの歴戦勇者天命尽きて、衣摺(東大阪市)で迹見首赤檮(とみのおびといちい)に射殺された。
この後587年泊瀬部皇子は即位して崇峻天皇となった。
しかし、政冶の実権馬子にあり次第崇峻馬子反目するようになった。
先帝遺言を果たすため、崇峻天皇は任那再興のため新羅を討つべく、筑紫向けて軍を発向するが、その留守を狙って馬子は、東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)を使って崇峻天皇を暗殺(592年)した。
この後、崇峻天皇に対して「モガリ」の儀礼を行うこともなく、ただちに倉岡の陵に葬られたという。
蘇我馬子残忍性格がよく出ている場面だ。
しかし、読者諸兄安心したまえ因果は巡るというではないか
蘇我氏は入鹿の代になり中大兄皇子中臣鎌足に首を刎ねられることになる。
32代天皇
天皇名崇峻天皇
読み方すしゆんてんのう
名・諱等泊瀬部天皇
読み方はつせべのすめらみこと
時代区分古代
天皇在位587?年から592?年
生年生年不詳
没年没年不詳
欽明天皇
小姉君
兄弟泥部穴穂部皇女
配偶者大伴小手子
皇子蜂子皇子・錦代皇女
即位宮柴垣
天皇陵岡陵
所在地奈良県桜井市大字倉橋



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崇峻天皇 倉梯岡陵
(すしゅんてんのう くらはしのおかのみささぎ)

御陵写真 陵印
代   数 :第32
天 皇 名 :崇峻天皇
すしゅんてんのう
御   父 欽明天皇
御   母 :妃蘇我
御 陵 名 :倉岡陵
くらはしのおかのみささぎ
陵   形 円丘
所 在 地 奈良県桜井市大字倉橋
交通機関等 近鉄JR桜井」からバス倉橋下車すぐ
陵印保管場所 畝傍陵墓監区事務所


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崇峻天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/27 17:16 UTC 版)

崇峻天皇(すしゅんてんのう、生年不明 - 崇峻天皇5年11月3日(ユリウス暦592年12月12日))は、第32代天皇(在位:用明天皇2年8月2日587年9月9日) - 崇峻天皇5年11月3日(592年12月12日))。泊瀬部皇子(はつせべのみこ)。『古事記』には長谷部若雀天皇(はつせべのわかささぎのすめらみこと)とある[1]




  1. ^ 『古事記』崇峻天皇段に、「弟(おと)、長谷部(はつせべ)の若雀(わかささぎ)天皇、倉橋(くらはし)の柴垣(しばかき)宮に坐しまして、天の下治らしめすこと、四歳(よとせ)なりき。(分注、壬子の年の十一月十三日に崩りたましき。)御陵は倉橋の岡の上にあり」とある。倉橋の柴垣宮は、奈良県磯城郡
  2. ^ 他には、配流先からの逃亡に失敗した直後に急逝した淳仁天皇や毒殺の疑いのある孝明天皇の例が未確定である。また、安康天皇は同じ皇族によって殺害されているが、史実性が低いので除外されることが多い。
  3. ^ 佐藤長門「七世紀における倭王権の展開過程」(初出:『国学院大学研究紀要』39号、2001年/所収:佐藤『日本古代王権の構造と展開』吉川弘文館、2009年 ISBN 978-4-642-02471-6
  4. ^ 坂本太郎他校注『日本書紀(四)』岩波書店 2002年 384頁下段
  5. ^ 和田萃「飛鳥の諸宮と大藤原京」 和田萃・安田次郎・幡多鎌一弘・谷山正道・山上豊『奈良県の歴史』山川出版社 2003年 54頁
  6. ^ 飛鳥資料館 - 蘇我氏の墓|崇峻天皇の墓


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