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しまづ-しげひで 【島津重豪】

(1745-1833) 江戸後期薩摩藩主。開化文教政策に意を用い、造士館医学院などを造営豪華な生活ぶりは有名で、藩の財政脅かした。晩年調所広郷(ずしよひろさと)用いて財政再建を図った。


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島津重豪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/10/17 05:55 UTC 版)

島津 重豪(しまづ しげひで)は、江戸時代島津氏第25代当主。薩摩藩の第8代藩主。いわゆる「蘭癖大名」のひとりとされる。




  1. ^ 『嶋津家分限帳』には「嶋津兵庫家 1万9593石」とある。ちなみに『嶋津家分限帳』とは宝暦5年の島津重豪襲封の後、重豪が幼少のため幕府が国目付に任命した京極高主らが、翌年10月に薩摩藩入りした際に薩摩藩に提出させた『松平又三郎家中分限帳』(原本東京大学史料編纂所所収)を、後年肥後藩士が写したもの。分限帳の内容は宝暦6年10月のものであり、当時の薩摩藩の役職者を伺い知ることができる。参考『薩州島津家分限帳』青潮社 ISBN B000J6UPH8
  2. ^ これは前代未聞の「外様大藩大名の将軍岳父」が誕生することに懸念を示した一橋治済ら徳川家の親族の思惑や、異例の厚遇を受ける重豪に対して伊達重村ら他の外様大名が反感を強めたため、渋々隠居したためである。参考文献『近世国家の支配構造』(雄山閣)ISBN 4639005814「松平定信の入閣を巡る一橋治斉と御三家の提携」高澤憲治
  3. ^ この当時、於房なる女性も「島津式部少輔」も実在せず、架空の側室をでっち上げたとされる(「薩藩旧記雑録」追録6-2822)。藩内の反対意見をお登勢の方の弟・市田盛常が押さえ込んだのだが、何故このようなことが必要だったかという理由は解明されていない。「寛政重修系図 第5輯」では佐土原藩主島津家分流で島津久寿を家祖とする江戸幕府旗本の島ノ内島津氏が式部少輔を称しており、これと関係ある人物か。
  4. ^ 「近秘野艸」では「母石井新六正純亀井能登守矩貞家臣女、称於豊方、又改於房方、又改於富貴方」とある。
  5. ^ 「御家譜」(『鹿児島県史料集』6所収)では「母於豊方」とある)
  6. ^ 「御家譜」「近秘野艸」では「実は島津兵庫久微子」とある。更に「近秘野艸」では亀五郎・感之助の義兄で三男(実際は夭折した兄が一人いるので四男)とする。一方、尚古集成館の「島津氏正統系図」では江戸幕府旗本の島ノ内島津氏5代目当主島津久般大岡忠相外孫)の娘との子としている。
  7. ^ 「近秘野艸」では谷政相女とする。
  8. ^ a b 「近秘野艸」には記載無し
  9. ^ 『島津重豪』1980年 芳則正著 ㈱吉川弘文館発行
  10. ^ 『島津重豪』1980年 芳則正著 ㈱吉川弘文館発行


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