琉球侵攻とは? わかりやすく解説

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琉球侵攻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 06:34 UTC 版)

琉球侵攻(りゅうきゅうしんこう)は、薩摩藩1609年に行った、琉球王国に対する軍事行動を指す。対する中山王府は、一貫して和睦を求める方針をとり、全面的な抵抗を試みることはなかった[2][3][4]


注釈

  1. ^ 「琉球渡海日々記」には琉球入番衆主取なる役名が見られる。
  2. ^ 「琉球入」の呼称については、高良倉吉の批判がある[10]

出典

  1. ^ 『鹿児島県史料 旧記雑録後編4』「維新公御文抜書」、1984年
  2. ^ a b c d 『琉球国由来記』「西来禅院記」
  3. ^ a b c d e f g h i j k 喜安日記
  4. ^ 「球陽附巻」12号
  5. ^ 肝付兼篤書状」に「琉球国御征伐」とある。
  6. ^ 国土交通省 奄美群島の概要
  7. ^ 議会の概要” (PDF). 沖縄県議会事務局. p. 53 (2020年). 2022年5月14日閲覧。
  8. ^ 島津侵入事件”. コトバンク. 2022年5月14日閲覧。
  9. ^ 『琉球国中山世鑑』巻之二
  10. ^ 『琉球王国の構造』吉川公文館、1987年、ISBN 9784642026536 pp.234
  11. ^ a b c d 親里(2007)
  12. ^ a b c 『しまゆぬ1』
  13. ^ 黒嶋敏「琉球王国と中世日本」『中世の権力と日本』(高志書院、2012年)P136-141.(原論文『史学雑誌』109-11、2000年)
  14. ^ 上原兼吾「琉球貿易」(『日本歴史大事典 3』(小学館、2001年) ISBN 978-4-095-23003-0) P1087
  15. ^ 黒嶋敏「琉球王国と中世日本」『中世の権力と日本』(高志書院、2012年)P121-136・147-151.(原論文『史学雑誌』109-11、2000年)
  16. ^ a b c 小山(1993)、新名(2014)
  17. ^ a b c d e f g h i j 『鹿児島県史料 旧記雑録拾遺家わけ2』「肝付兼篤書状」
  18. ^ 『奄美大島諸家系譜集』「笠利氏家譜」
  19. ^ 『奄美大島諸家系譜集』「前里家家譜」
  20. ^ a b c d e f g h i j 『鹿児島県史料 旧記雑録後編4』「琉球渡海日々記」
  21. ^ a b c 『鹿児島県史料 旧記雑録後編4』「琉球入ノ記」
  22. ^ 上里隆史『琉日戦争一六〇九―島津氏の琉球侵攻』ボーダーインク、2009年、ISBN 9784899821700 pp.242
  23. ^ 「樺山権左衛門久高譜中」
  24. ^ 「球陽附巻」史料番号5
  25. ^ 明治12年4月8日太政大臣三条実美通達


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