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しまむら-ほうげつ ―はうげつ 【島村抱月】
近代日本人の肖像 |
島村抱月 しまむら ほうげつ
島根生まれ。評論家、新劇指導者。東京専門学校卒業後『早稲田文学』の記者となり、文芸評論を発表する。明治30年(1897)雑誌『新著月刊』を創刊し小説も執筆。35年(1902)渡欧し、帰国後の38年(1905)早稲田大学教授となる。再興した『早稲田文学』において多くの評論を発表する一方、42年(1909)からは坪内逍遥の文芸協会に参加し、海外作品の翻訳や演出を行った。大正2年(1913)文芸協会を退き、松井須磨子らと芸術座を興し、近代劇の普及に努めた。
- 著作等(近代デジタルライブラリー収載)
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- 泰西美学史 / 島村滝太郎述 東京専門学校, 〔明33〕 (東京専門学校文学科第四回第三部講義録) <YDM310423>
- マーシャル氏審美学綱要 / 島村滝太郎解説 東京専門学校出版部, 明33 (名著綱要文学教育科 ; 〔7〕) <YDM69389>
- 新美辞学 / 島村滝太郎著 東京専門学校出版部, 明35.6 (早稲田叢書) <YDM79241>
- 滞欧文談 / 島村抱月著 春陽堂, 明39.7 <YDM84769>
- 乱雲集 / 島村抱月著 彩雲閣, 明39.12 <YDM95710>
- 其の女 / グラント・アレン著 ; 島村抱月訳 服部書店, 明40.2 <YDM101148>
- 近代文芸之研究 / 島村抱月(滝太郎)著 早稲田大学出版部, 明42.6 <YDM84706>
- 美学概論 / 島村滝太郎述 早稲田大学出版部, 〔明42〕 (早稲田大学四十二年度文学科第二学年講義録) <YDM310578>
- 文学概論 / 島村滝太郎講述 早稲田大学出版部, 〔明42〕 (早稲田大学四十二年度文学科第一学年講義録) <YDM310573>
- 故郷 / ズーダーマン著 ; 島村抱月(滝太郎)訳 金尾文淵堂, 明45.6 <YDM100994>
- 漢文評釈 / 島村滝太郎述 東京専門学校, 〔 〕 (東京専門学校邦語文学科第1回1年級講義録) <YDM204641>
- 漢文評釈 / 島村滝太郎述 東京専門学校, 〔 〕 (東京専門学校邦語文学科第2回1年級講義録) <YDM204642>
- 美辞学 / 島村滝太郎述 東京専門学校, 〔 〕 (東京専門学校邦語文学科第1回1年級講義録) <YDM204715>
- 美辞学 / 島村滝太郎述 東京専門学校, 〔 〕 (東京専門学校邦語文学科第2回1年級講義録) <YDM204716>
- 美辞学 / 島村滝太郎述 東京専門学校, 〔 〕 (東京専門学校文学科第2回1年級講義録) <YDM204717>
- 美辞学 / 島村滝太郎述 東京専門学校, 〔 〕 (東京専門学校文学科第3回1部講義録) <YDM204718>
- 文学研究法 / 島村滝太郎述 東京専門学校, 〔 〕 (東京専門学校文学科第1回1年級講義録) <YDM205311>
- 文学研究法 / 島村滝太郎述 東京専門学校, 〔 〕 (東京専門学校文学科第2回1年級講義録) <YDM205312>
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
探偵作家・雑誌・団体・賞名事典 |
島村抱月(しまむら・ほうげつ)
本名佐々木滝太郎。1871年(明4)、島根県生まれ。東京専門学校文学科卒。
1894年(明27)、坪内逍遥主宰の「早稲田文学」の編集を担当し、同誌に評論「探偵小説」を発表。長谷川天渓らと自然主義を推進した。
ウィキペディア |
島村抱月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/12/17 08:10 UTC 版)
島村 抱月(しまむら ほうげつ、1871年2月28日(明治4年1月10日)- 1918年11月5日)は日本の文芸評論家、演出家。新劇運動の先駆けとなった。旧姓は佐々山、幼名は瀧太郎。小説、詩歌、戯曲などの実作もある。よって、劇作家、小説家、詩人でもある。
目次 |
経歴
島根県小国村(現浜田市)に佐々山一平の長男として生まれ、浜田町裁判所検事島村文耕の養子となる。1894年東京専門学校(早稲田大学)卒業後、「早稲田文学」記者、1898年読売新聞社会部主任となり母校文学部講師となる。1902年から1905年まで、早稲田の海外留学生として英独留学。帰国後、早稲田大学文学部教授となり「早稲田文学」を主宰して自然主義運動のため大いに活躍する。
1906年に坪内逍遥とともに文芸協会を設立。しかし、1913年、松井須磨子との恋愛スキャンダルが起こり、文芸協会を脱退。
同年、松井とともに芸術座を結成した。トルストイの小説を基に抱月が脚色した「復活」(1914年)の舞台が評判になり、各地で興行を行った。松井が歌う劇中歌「カチューシャの唄」は大ヒット曲になり、新劇の大衆化に貢献した。1918年、抱月はスペイン風邪にかかり急逝。松井は抱月の死後、芸術座の公演を続けたが、やがて抱月の後を追って自殺。芸術座も解散になった。
2004年、東京都豊島区の雑司が谷霊園と同区の浄光寺に分骨埋葬されていた遺骨が故郷の島根県金城町(現・浜田市)へ里帰りした。同霊園の墓はこれまで抱月の3女島村トシコ(東京都在住)が管理していたが、高齢のため管理が難しくなったこともあり、トシコから「遺骨を里帰りさせたい」と同町に打診があったという[1]。
主な作品
戯曲
- 運命の丘
小説
- 白あらし
- 山恋ひ
詩歌
- 心の影
脚注
- ^ “遺骨86年ぶり里帰り島村抱月 22日に納骨式 -金城-”. 山陰中央新報. (2004-05-18) 2009-02-18 閲覧。
参考文献
- 『新日本人物大観(島根県版)』 人事調査通信社 1957年 サ・シ40頁
外部リンク
- 島村抱月 | 近代日本人の肖像
- 島村抱月について
- 島村 抱月:作家別作品リスト(青空文庫)
- うわづら文庫 - 抱月の作品(詩歌・小説・戯曲・評論など)がいくつか読める。
固有名詞の分類

