岸壁の母とは? わかりやすく解説

岸壁の母

原題:
製作国:日本
製作年:1976
配給:東宝
スタッフ
監督:大森健次郎 オオモリケンジロウ
製作:田中友幸 タナカトモユキ

鈴木慶司 スズキケイジ

田中収 タナカオサム
原作:端野いせ 
脚本:村尾昭 ムラオアキラ
企画:大観プロダクション 
撮影:市原康至 
音楽:津島利章 ツシマトシアキ
主題曲:二葉百合子 フタバユリコ
美術:育野重一 イクノシゲカズ
編集:池田美千子 イケダミチコ
録音:矢野口文雄 ヤノグチフミオ
スクリプター:吉崎松雄 

二葉百合子 フタバユリコ
助監督:西川常三郎 
照明:高島利雄 タカシマトシオ
制作補:森知貴秀 モリチタカヒデ
特別出演:二葉百合子 フタバユリコ
キャスト(役名
中村玉緒 ナカムラタマオ (端野いせ
荻野尋 オギノ (端野新二(六歳))
鹿又裕司  (端野新二十二歳))
江藤潤 エトウジュン (端野新二十八歳))
林寛子 ハヤシヒロコ (三村靖子)
伊藤敏孝 イトウトシタカ (片桐八郎
亀谷雅彦  (三村義隆)
大門正明 ダイモンマサアキ (相沢進
荒木道子 アラキミチコ (小松たか)
北村和夫 キタムラカズオ (小松国造
吉野佳子 ヨシノケイコ (中根まさ代)
滝島孝二 タキシマコウジ (熊谷
寺島信子 テラシマノブコ (熊谷とみ子)
高城淳一 タカギジュンイチ (長岡源吉
八木昌子 ヤギマサコ (はる江)
伊藤雄之助 イトウユウノスケ (弥助
服部妙子 ハットリタエコ (伊原しの)
重田尚彦 シゲタナオヒコ (伊原勝)
加藤和夫 カトウカズオ (桜井
神山勝  (石原
賀川修嗣  (黒田刑事
賀原夏子 カハラナツコ (本橋たい子)
解説
第二次大戦戦地からいまだ帰らぬわが子への思い切々と歌った二葉百合子同名ヒット曲映画化で、幾多悲しみ乗り越えてひたすらわが子の帰り待ち続ける母の姿を描く。脚本は「テキヤの石松」の村尾昭監督は「二十歳の原点」の大森健次郎撮影は「お姐ちゃんお手やわらかに」の市原康至それぞれ担当
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
昭和六年、函館。いせは、幼い息子の新二の手引いて東京目ざし列車乗った。夫と死別したいせを、無理やり再婚させて家から出し一人息子の新二を跡継ぎにしようとするいせの稼ぎ先きの小松家国造企みから逃れるため、いせは意を決して新二とともに家を飛び出したのだ。母子二人の、貧しいが楽しい東京の生活が始まった。昼は家政婦、夜は針仕事。いせは、新二との生活を守るために必死働いたそんないせの体を、知らないうちに病魔むしばんでいた。治療受けようとするいせに、下宿大家部屋代払えないならすぐに出て行け冷たく言う。針仕事もらっている仕立屋主人も、妾にならないかと露骨にいせに迫る。すっかり疲れ果て、気が弱ってまったいせは死を決意して、新二とともに家を出た夜道にたたず二人様子見ていた屋台主人弥助は、残りものといって二人支那そばをおごる。「人間死んじゃつまらねえよ。生きてりゃ、いつかきっといいことがある」。いせは、必死に働いた母子かたすみ幸せ離れたところで、時代激しく動いていた。昭和十六十二月八日日本大東亜戦争突入した。新二は中学生になっていた。剣道部入った新二は、対校試合の夜、先輩三村徴兵かかったことを知らされた。知らせに来たのは、三村の妹の靖子だった。日増しに激しくなる戦火をぬって、二人はたびたび会うようになった。新二は、靖子との結婚決心した明るく輝く若い二人の顔を前にして、いせは言葉なくした。いたたまれおもいで、いせは家を飛び出した。後を追って来た靖子の声に振り向いたいせは、胸のおもいを断ち切って二人将来祝福した手を取り合って家に帰るいせと靖子。その二人を新二が呆然として迎えた。「来たよ」。新二は二人に、いま来たばかり赤紙見せた。夜の海岸を新二と靖子は歩いた。「靖ちゃん、結婚はぼくが帰ってからにしよう」。こう言って、新二は靖子を激しく抱き寄せた母と子最後の夜静かに過した。「母さんもしぼくが戦死したどうする」。いせは、きっぱりと答えた。「その時は、母さん死にます」。翌朝、新二は靖子や近所の人に送られ出征した鉄橋を渡る汽車の窓から、新二はいせの姿を捜していた。「母さん!!」。一足遅く鉄橋にたどりついたいせもまた、大声で遠去かる列車叫んだ。「新ちゃん!! 新ちゃん!!」。東京連日B29による激し爆撃さらされていた。いせは、戦地から送られてくる新二のたよりを唯一の支えにして生きていた。そんなある日爆撃の中で靖子が死んだ。--終戦玉音放送を息をつめて聞いていたいせの口から、思わず言葉がもれた。「新二が帰って来る!」。それからの毎日、いせは復員兵ごったがえす品川駅通い続けた。しかし新二は帰って来ない。いせはある日、新二の戦友から新二が満州戦っていたことを知らされた。満州。それなら新ちゃん舞鶴帰って来るはずた。昭和二十四年、舞鶴。ここ舞鶴港引揚げ船と、それを迎え人々ごったがえしていた。新二の写真持ったいせは、血まなこになって復員兵の列に呼びかけた。「新二ッ!! 新ちゃん!!」。次のランチ。そして次のランチ。新二はついに帰って来なかった。昭和三十一年ソ連からの最後引揚げ船といわれる興安丸にも、新二の姿はなかった。さらに年月流れて、--今日また、いせは変らぬ姿で岸壁立っている。無造作に束ねた白髪まじりの髪、小さな細い肩。しかし輝く瞳希望の光たたえて水平線彼方みつめている。この母にとって、戦争はいまだ終っていないのだ。--ああ風よ、心あらば伝えてよ、愛し子待ち今日また、岸壁に立つ母の姿を。

岸壁の母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 05:34 UTC 版)

岸壁の母(がんぺきのはは)とは、第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で引揚港の桟橋(岸壁)へ帰ってくる息子の帰りを待つ母親マスコミ等が取り上げた呼称。


  1. ^ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、109頁。ISBN 4390116495
  2. ^ a b c d e f 引退後も素晴らしいお弟子さんに恵まれて 幸せだなぁと、つくづく思います”. マンション生活情報サイト「Wendy-Net」より「Ms Wendy」 (2014年11月掲載). 2023年6月16日閲覧。
  3. ^ 石原裕次郎、渡 哲也がカラオケを楽しむプライベート音源が奇跡のCD化!発売から早くも通販サイトで1位となるなど大反響!、PRTIMES(株式会社テイチクエンタテインメント)、2019年7月17日 15時56分。


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