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岩井由紀子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/02 08:10 UTC 版)
| プロフィール | |
|---|---|
| 別名 | ゆうゆ |
| 愛称 | ゆうゆ |
| 生年月日 | 1968年5月26日 |
| 現年齢 | 43歳 |
| 出身地 | |
| 血液型 | O型 |
| 公称サイズ(時期不明) | |
| 身長 / 体重 | ― cm / ― kg |
| その他の記録 | |
| 『おニャン子クラブ』(19番) | |
| モデル: テンプレート - カテゴリ | |
岩井 由紀子(いわい ゆきこ、1968年5月26日 - )は、日本の元タレント(歌手・女優)。愛称は「ゆうゆ」で、1987年から1994年の間は芸名として用いていた(後述)。
神奈川県横浜市鶴見区出身。嘉悦女子高等学校卒業、嘉悦女子短期大学中退。二人姉妹の次女。血液型はO型。身長150→151cm、体重40→38kgと、元おニャン子クラブのメンバーの中で一番小さい。
目次 |
経歴
神奈川県横浜市鶴見区で生まれる。後に両親の離婚に伴い千葉県へ転居するが、本人は「自分はハマっ子だ」と主張し続けた。
1985年当時創刊されたばかりの模型雑誌モデルグラフィックス編集部に実姉ネーネ(当時の表記)が勤務しており、誌面を飾るモデルにアイドル志望だった妹を推薦。創刊号からグラビアモデルのユーユ(当時の表記)として誌面に登場。グラビアと言っても水着やセクシーな衣装などではなく、誌面に登場したモデルガンやミリタリー系各種装備を紹介するモデルがメインだった。創刊号では1/8ナウシカのドールの作例と合わせて原寸大の長銃を構えたナウシカのコスプレを披露。以後誌面に掲載される作例に合わせてアニメのキャラクター(重戦機エルガイムのファンネリア・アム)やゴーストバスターズ(ツナギ姿でプロトンパックを装備)、MP44を構えたドイツ国防軍兵士等の格好をした彼女が誌面に花を添えた。
1985年6月21日に『夕やけニャンニャン』のオーディションで合格し、おニャン子クラブ会員番号19番として活動を始める。ファーストアルバム『KICK OFF』からジャケット写真に参加。ゆうゆの愛称で親しまれ、後に同じくおニャン子クラブ会員番号16番の高井麻巳子と共にうしろゆびさされ組を結成。1986年7月、おニャン子クラブの5thシングル「お先に失礼」でフロントボーカルに選ばれる。その後もシングル、アルバムの多くの楽曲でフロントボーカルを担当し、中・後期のおニャン子クラブの中心的存在の一人となる。
1987年3月25日、「天使のボディーガード」でソロデビュー。高井麻巳子の卒業に伴い、同年4月、うしろゆびさされ組は解散。同年8月31日おニャン子クラブが解散した後、おニャン子の先輩である河合その子と同じ渡辺プロダクションに移籍。愛称のゆうゆを芸名にする。テレビ東京『歌え!アイドルどーむ』メインMC、フジテレビ『クイズ!年の差なんて』レギュラーなど、バラエティ番組を中心とするバラドルとして活動。一方、リリースするレコードの売り上げは採算が取れないほど低迷の一途を辿り、「スタッフからシングルの売り上げが落ちていく資料を見せられ、『どうするんだ、これから?』と激しい叱咤を繰り返された」と雑誌『宝島』のインタビューで語っている。これを機に1989年以降、歌手活動は休止。
1989年、ゲームメーカーのタイトーのイメージキャラクターに抜擢。
1994年、写真週刊誌に2ショット写真が掲載されたのを機に、おニャン子クラブ在籍時より中山秀征と交際をしていたことを認め、同時期に「大人のタレントとして活動するため」と芸名を本名の岩井由紀子に戻す。しかし、間もなく双方共に多忙だったことなどから擦れ違いが生じ、破局に至った。
1997年、青年実業家と結婚し、芸能界を引退。後に2児の母となる。
2002年、おニャン子クラブの再結成に参加し、『HEY!HEY!HEY!』、『FNS歌謡祭2002』に出演。
人物・エピソード
- 熱狂的な松田聖子の大ファンであり、日本テレビ系『歌のトップテン』出演時に対面し、感激の涙を流した。
- 『夕やけニャンニャン』スタッフは岩井の事を「気が強く、すぐに泣く」と評し、「嫌いなスタッフに当たりが冷たい」ところが難だと指摘した。
- おニャン子クラブで特に仲が良かったのは渡辺美奈代で、美奈代も必ず岩井の名を挙げる。また工藤静香は「いつ会っても挨拶してくれた」と好印象を持っていたことを語った。
- うしろゆびさされ組の高井麻巳子との不仲が絶えず噂されていた。1994年に「明石家電視台」にゲスト出演した際にこの件に触れ、高井との仲について「あんまり一緒にいなかった」「あんまり仲良くなかった」「別々のグループにいた」などと発言し、当時二人の間にはあまり会話がなかったことを明かした。ただし「私が子供だったから」と高井をフォローしており、「今喋ったら(普通に)喋れる」とも話した(岩井は高井と秋元との仲を感づいており、そのことに一抹の苛立たしさを感じていたとのこと)。
- 同時期にバラドルとして活躍していた森口博子、ちはるなどは「ゆうゆの素顔はとても大人しくて、可愛らしい女性」だと語ったことがある。
- クイズ番組等でフリップボードの隅によく「ナス」のイラストを描いていた。ファンクラブのおまけにナスのイラストのカードタグが付いてきた。友近がしばしばそのことをネタにする。
- 安室奈美恵が沖縄アクターズスクールの生徒だった頃に琉球放送のローカル番組『ちびっ子カラオケ大会』で「-3℃」を披露している。
- ビビる大木が岩井の大ファンだったと明かしている。同時期に渡辺プロダクションに所属していたことがあるが、好きだったことは最後まで言えなかったという。
- ワッキー(ペナルティ)は『アメトーーク!』内で「好きだったアイドルのシングル」として「25セントの満月」を持参した。しかし出だしの2小節しか歌えず(決して間違ってはいなかったが)、周囲から「本当にその曲が好きだったのか!?」と非難を浴びた。
- 背が低いことに加え童顔なため、実年齢より幼く見られることがコンプレックスだったが、おニャン子に入ってからそれらが多くの人に好まれる個性だと気付いてから積極的になったという。また、トランジスタグラマーであることも自覚しており、「意外と胸は大きいんです」と自ら語ることも度々あった。
- ORICON WEEKLY誌上で連載していたエッセイ『ゆうゆ自適』で、『愛称の由来はねぇね(前述の実姉)が名付け親』等の裏話を披露している(同紙面にはロドリゲス高橋がゆうゆをモチーフにしたという『ふしぎの国のゆうゆ』も掲載されていた)。
- 自分の特技に『変にゃ歌』を挙げている。『ゆうゆ光線』他幾つかのアルバムにこれら変にゃ歌が幾つか収録されているのはトリビア扱いとなっている。
- 握手会で握手でなく、指相撲をやった事がある。
- おニャン子クラブ時代、中山秀征に猛アタックされた。
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