岡田嘉子とは? わかりやすく解説

おかだ‐よしこ〔をかだ‐〕【岡田嘉子】

読み方:おかだよしこ

[1902〜1992女優広島生まれ女子美術学校卒。新劇から映画界入り昭和13年1938演出家杉本良吉ソ連亡命スパイ容疑かけられるが、のちソ連市民権を得る著作に「悔いなき命を」など。


岡田嘉子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 07:45 UTC 版)

岡田 嘉子(おかだ よしこ、: Окада Ёсико1902年4月21日 - 1992年2月10日)は、日本及びソビエト連邦(現在のロシアなど)で20世紀(1918年-1986年。日本では大正時代から昭和時代)に活動していた女優アナウンサー


注釈

  1. ^ ただし、後述の今野勉の調査で嘉子が1972年の里帰り以前に銃殺の事実を知っていたことは確実とされている[11]

出典

  1. ^ 「芝居と映画 名流花形大写真帖」(『富士』 昭和6年新年号(第4巻1号)附録)、大日本雄弁会講談社、1931年、p. 313
  2. ^ 岡田嘉子 - 人物情報・関連映画 - 映画DB”. 映画DB. 2021年1月5日閲覧。
  3. ^ 本岡典子『流転の子―最後の皇女・愛新覚羅嫮生』中央公論新社、2011年、p. 147-150
  4. ^ 撮影中途で行方くらます、日活が激怒『中外商業新報』昭和2年3月30日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p35 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  5. ^ 撮影中途で行方くらます、日活が激怒『中外商業新報』昭和2年3月30日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p35)
  6. ^ ステージに返り咲いた嘉子『東京日日新聞』昭和2年9月21日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p37)
  7. ^ a b c 名越健郎『クレムリン秘密文書は語る』
  8. ^ 愛人杉本良吉とともに北樺太で消息を絶つ『東京日日新聞』昭和13年1月5日(『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p54 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  9. ^ 岡田ら北樺太に逆走、釈放の見込み薄い『東京日日新聞』昭和13年3月23日(『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p54)
  10. ^ 二人はゲ・ペ・ウが取調中『大阪毎日新聞』昭和13年1月15日(『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p54)
  11. ^ 朝日新聞be編集グループ『またまたサザエさんをさがして』朝日新聞社、2007年、p. 136
  12. ^ 『阪田寛夫 賛美歌で育った作家』編集工房ノア、8月1日 2023、219-221頁。 





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