山本四郎
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山本 四郎(やまもと しろう、1920年2月29日 - 2022年8月20日)は、日本の歴史学者。神戸女子大学名誉教授。専門は日本近代史。
略歴
京都府出身。1939年12月、陸軍士官学校卒業。1949年3月、京都大学文学部史学科卒業。1971年5月、京都大学文学博士。神戸女子大学教授を経て、同大学名誉教授。
2022年8月20日、老衰のため死去[1]。102歳没。
著書
単著
- 『小石元俊』(吉川弘文館 人物叢書、1967年、新装版1989年)
- 『新宮涼庭伝』(ミネルヴァ書房、1968年、オンデマンド版2014年)
- 『大正政変の基礎的研究』(御茶の水書房、1970年)
- 『原敬 政党政治のあけぼの』(清水書院、1971年、清水新書、1984年、新訂版2017年)
- 『初期政友会の研究 伊藤総裁時代』(清文堂出版、1975年)
- 『京都府の歴史散歩』上・下(山川出版社、1975年)、新版(上・中・下、1995年)
- 『日本政党史』上・下(教育社歴史新書、1979年-1980年、新版1987年)
- 『政変 近代政治史の一側面』(塙書房、1982年)
- 『山本内閣の基礎的研究』(京都女子大学、1982年)
- 『元老』(静山社、1986年)
- 『評伝 原敬』上・下(東京創元社、1997年)
- 『石川丈山と詩仙堂』(山本四郎、2002年)
編著
- 『近代日本の政党と官僚』(東京創元社、1991年)
- 『日本近代国家の形成と展開』(吉川弘文館、1996年)
共編著
刊行史料
- 『第二次大隈内閣関係史料』(京都女子大学、1979年)
- 『寺内正毅日記 1900〜1918』(同上、1980年)
- 『西原亀三日記』(同上、1983年)
- 『寺内正毅関係文書 首相以前』(同上、1984年)
- 『寺内正毅内閣関係史料』(同上、1985年)
- 『坂西利八郎書翰・報告集』(刀水書房、1989年)
- 『立憲政友会史 補訂版』全10巻・別巻(日本図書センター、1990年)
脚注
山本 四郎(やまもと しろう)
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「フロンティア (漫画)」の記事における「山本 四郎(やまもと しろう)」の解説
リンたちに接触する、関西弁を話すアフロヘアーの男。その正体は政府の雇われエージェントであり、目的は、来る国交正常化交渉の下準備としての「北」の情報提供者の保護、及び敵対工作員の除去。江戸時代からの動物芸人の血を引く人間で、カラスを駆使して諜報活動や攻撃を行う。仕事の報酬は、拉致された妹の正式な拉致被害者認定。
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山本 四郎(やまもと・しろう)
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「甲州戦記サクライザー」の記事における「山本 四郎(やまもと・しろう)」の解説
2ndシーズンから登場。特殊スーツ「タイプ39RA」を開発した北山梨大学の博士。はじめの父。クールな息子とは正反対で、熱苦しく涙もろい。しかしながらその腕は確かなもので、手に入れたタケダクリスタルの力を利用してスーツや武器を強化するなど、はじめがいなくなってしまった穴を十分に埋めて余りある活躍を見せる。また、魔玄怪人に襲われるも、懐に電話帳が入っていたため助かったという強運の持ち主でもある。右左口は元教え子で因縁の仲。
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固有名詞の分類
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