祇園祭
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祇園祭(ぎおんまつり)は、京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ、御霊会)と呼ばれた。貞観年間(9世紀)より続く京都の夏の風物詩である。
- ^ 近年、マスコミなどで「さきまつり」などと読むケースがあるが、「さきのまつり」と「の」が入るのが伝統的で正式な呼称である。
- ^ 狂言『鬮罪人』では、京都の町々が毎年趣向を凝らして山の作り物を考案する場面が描かれており、山鉾巡行の草創期には、人形ではなく扮装した人が乗り、山の題材は固定化されておらず、流動的であったことが窺える。
- ^ 『祇園社記』第十五によれば、応仁の乱以前には58基の山鉾があり、「弓矢鉾」「甲鉾」「達磨鉾」「地蔵鉾」「韋駄天山」「弁慶衣川山」「鵜飼舟山」「大鋸引山」「那須与一山」「泉小二郎山」「自然居士山」「朝比奈門山」「天鼓山」などの廃絶した山鉾が列記されている。この中には今では山鉾を出さない町も含まれている。
- ^ 日曜以外・祇園祭の公式な行事ではない。
- ^ 宵山の童歌は「○○のお守りはこれより出ます。常は出ません今晩限り。ご信心のおん方様は、受けてお帰りなされませ。蝋燭一丁献じられましょう」(○○(神様)のお守りはここで発売しています。いつも売っているものではありません。宵山期間だけです。信心の皆さんは買って行って下さいな。蝋燭も一本どうぞ)というような、お守り・蝋燭・縁起物等の販売促進を目的としてた内容である。少女たちの可愛らしさで見物客の財布の紐を緩め、子供には商売の真似事を教えるという、優れた社会教育の機会となっている。昼間は少女たちが小学校に行っているため大人しかおらず、童歌はエンドレステープを流しているだけのことが多いが、夕方以降には少女たちが待機しており、随時歌い出す。土・日曜日は昼から待機することが多い。山によっては少年も歌に加わることがある。童歌の元祖は霰天神山といわれている。
- ^ 江戸時代後期に綾傘鉾が鉾車形式に改造されたとき、網代葺の唐破風屋根の形式であった。
- ^ 菊水鉾の音頭取は侍烏帽子に袴を着用し菊の葉型の団扇を持つが、江戸時代には大阪天神祭の催太鼓の「願人」がかぶる「投げ頭巾」のようなものつけたこともあったらしい。
- ^ 2021年(令和3年)まではBSフジ。KBS京都はフジテレビ系列ではないが資本提携関係にある。
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