関鑑子とは? わかりやすく解説

関鑑子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/17 07:51 UTC 版)

関 鑑子(せき あきこ、1899年(明治32年)9月8日 - 1973年(昭和48年)5月2日)は、日本の声楽家音楽教育者音楽評論家


  1. ^ 関鑑子追想集編集委員会 編「大きな紅ばら: 関鑑子追想集」(東京、1981年) 280-282ページ所載、須藤五郎「真実を貫いた人」より引用:
    「...私の予備校時代からの友人に金さん、朴さんという二人の朝鮮出身の男学生があった。モダンガールの関さんが、この二人の青年に目をかけ、何かと世話をやいておられたが、これは関さんの思想から出ている行為とは後日気付いたことであった。私も本科声楽科卒業後から社会運動に首を突込んだわけだが、同じ方向に歩いていながら何の交渉も無かったわけである。戦後、関さんと私は共産党員として、党の文化政策にしたがって、うたごえ運動、労音運動に相協力することになった...」
  2. ^ 読売新聞社「週刊娯楽よみうり」 1956年1月20日号 10-15ページ所載 記事「関鑑子さん ― うたごえのプリマドンナ」より引用:
    「むろんここに集まる連中は『うたごえ運動』の頂上にひとしく関鑑子を仰ぎ見る点では、ほとんど見解は一致している。『スターリン賞? 当然です。私たちの音楽的な運動が世界に認められたんです。関先生ですか? あんな立派な党員芸術家は、あとにもさきにもないんじゃないでしょうかね』と、ベレーをかぶった二人づれの新劇研究生は口をそろえていい...」
  3. ^ 日本共産党中央委員会理論政治誌「前衛」 1974年2月号 21-57ページ所載「戦後の文化政策をめぐる党指導上の問題について-文化分野での『50年問題』の総括-」より引用:「...合唱運動では、すでに1948年に日本青年共産同盟の青共中央合唱団が関鑑子の音楽指導のもとに結成され、民青中央合唱団をへて、1951年に中央合唱団として独立し、団員たちは職場や地域の闘争を激励する行動隊をつくって活動し、大衆的な音楽運動を全国的に育てる先駆的な役割をはたした。1952年には中央合唱団創立4周年を記念して『1952年日本のうたごえ音楽会』がひらかれ、それが翌53年からさらに大規模なうたごえ運動へと発展していった。これらの大衆的文化運動は、いずれも[日本共産]党の正規の文化政策にそって、党員を中心とする活動家たちの献身的な努力によって組織され、推進されたものである...」
  4. ^ a b c 「大きな紅ばら: 関鑑子追想集」 340-341ページ所載、関鑑子告別式(東京・音楽センター、1973年5月4日)における蔵原惟人(当時 日本共産党中央委員会常任幹部会委員)の弔辞より引用:
    「...戦後、1948年にあなたが日本共産党の要請のもとに、現在の中央合唱団の前身である青共中央合唱団を創立し、51年からは音楽センターを主宰し、『うたごえは平和の力』という合言葉で日本のうたごえ運動として世界でも類例をみない大衆的な音楽運動をおこし、その指導者として今日にいたったことはよく知られています。[...] 私はあなたがわが国の民主的な文化運動のなかで果たされた功績にたいし、またあなたが終始一貫して党を支持し、党に協力してくださったことにたいし、日本共産党中央委員会を代表して心からあなたに感謝するとともに、ここに最後のお別れの言葉をささげます...」
  5. ^ a b 日本共産党中央委員会理論政治誌「前衛」 1974年12月増刊号 118-120ページ所載、藤本洋(当時 日本のうたごえ全国協議会幹事長)の報告より引用:
    「...また、26年におよぶうたごえ運動にたいする党の援助と指導によって党員活動家が音楽要求にこたえていける力量を蓄積しており、ここにわが党の文化運動における他党の追随を許さない優位性があるということができます...」
  6. ^ Akiko Seki (Сэки Акико)[RU] ソビエト大百科事典の項目
  7. ^ Seki Akiko - жизнь между политикой и искусством[RU], Олег Калинка 署名の記事(ペテルブルク, 2011年2月22日)
  8. ^ Поющие голоса Японии[RU]. Музыкальная энциклопедия[RU] より、M.P. Леоноваde 署名の記事
  9. ^ Catalogue of the Library of Congress[EN], Chapter 22. Seki Akiko: the red primadonna of Japan by William P. Malm, in: Music from the Middle Ages Through the Twentieth Century: Essays in Honor of Gwyn McPeek (New York, 1988).
  10. ^ 労働者教育協会 月刊「学習の友」1964年2月号 4-8ページ所載「学習訪問 - 心の泉をくみとろう」
  11. ^ 日本青年共産同盟中央機関紙「青年の旗」 1947年8月25日付 記事「私の青春時代」
  12. ^ a b 関鑑子監修 日本青年共産同盟中央文化部編「青年歌集」(東京 1948年9月20日発行)所収
  13. ^ 宅昌一「前衛座の思い出(一)」(「テアトロ」1978年5月号 所載)
  14. ^ a b 報知新聞1926年12月8日付 記事「声楽家 関鑑子さんが革命家のわざわい-拍手の雨を浴びたステージの誇りも仇-警視庁に召喚さる」
  15. ^ マルクス書房、日本プロレタリア芸術連盟 編 月刊「プロレタリア芸術」 1927年9月号 13-15ページ所載、関鑑子「検閲-音楽-プロレタリア」
  16. ^ 村山知義「一つの足跡-トランク劇場から新協劇団まで-」(月刊「民主評論」1948年9月号 所載)
  17. ^ a b c 岩崎呉夫「人物にっぽん音楽誌: 明日のために・この12の個性について考える」[東京、1963年]131-157ページ "関鑑子"
  18. ^ 月刊「プロレタリア芸術」1927年8月号 51-52ページ「前衛座新潟行きに関して声明する」、53ページ「本部報告」
  19. ^ a b 河野さくら「われらは一団-日本プロレタリア音楽同盟の記録-(上・中・下)」(「文化評論」1968年5・6・7月号連載)
  20. ^ a b c 「大きな紅ばら: 関鑑子追想集」355-359ページ所載 関鑑子略年譜
  21. ^ 婦人民主クラブ・ホームページ「私たちのあゆみ」
  22. ^ 関鑑子 「うたごえ運動の理論-音楽とは何か-」(「知性」1956年増刊号[東京、河出書房]) 58ページ
  23. ^ 藤本洋「うたは闘いとともに-うたごえの歩み」(東京、1980年)17ページ
  24. ^ 日本共産党中央機関紙「アカハタ」1949年1月25日号 記事「“音楽の道はひとすじ” 若き女性二人 - かなでる “入党二重奏”」
  25. ^ 当時、うたごえ運動の広がりの余波として、「うたごえ喫茶」が東京の新宿を中心に隆盛し、日本全国に普及していった。
  26. ^ 「メーデー事件裁判闘争史」編集委員会 編「メーデー事件裁判闘争史」(東京、1982年) 322ページ
  27. ^ メーデー事件中央後援会 編「広場の証言 ―写真で見るメーデー事件― 」(東京、1972年) 巻末「わたくしの訴え」
  28. ^ 関鑑子 編『青年歌集』第2編(東京・音楽センター 1953年3月20日 初版発行)139-140ページ所載
  29. ^ 関鑑子 編『青年歌集』第3編(東京・音楽センター 1954年7月15日 初版発行)巻末所載
  30. ^ 藤本洋「うたは闘いとともに-うたごえの歩み」68ページ
  31. ^ a b В КОМИТЕТЕ ПО МЕЖДУНАРОДНЫМ СТАЛИНСКИМ ПРЕМИЯМ "ЗА УКРЕПЛЕНИЕ МИРА МЕЖДУ НАРОДАМИ" - О ПРИСУЖДЕНИИ МЕЖДУНАРОДНЫХ СТАЛИНСКИХ ПРЕМИЙ "ЗА УКРЕПЛЕНИЕ МИРА МЕЖДУ НАРОДАМИ" ЗА 1955 ГОД. Постановление Комитета по международным Сталинским премиям "За укрепление мира между народами" от 9 декабря 1955г. スターリン平和賞選考委員会による1955年度受賞者発表。同年12月9日付(ソ連共産党機関紙「プラウダ同年12月21日号のテクスト転写)
  32. ^ アカハタ」1955年12月22日付 記事「喜びの関鑑子さん-スターリン平和賞決定に」
  33. ^ 「週刊娯楽よみうり」1956年1月20日号所載 記事「関鑑子さん ― うたごえのプリマドンナ」15ページ。電文中の「アリノカイ」は、「奈良蟻の会合唱団」(1952年創立)と推測される。
  34. ^ 藤原一郎「侵された文化: 中ソ・日共・外郭団体・サークル -その組織と戦術の解剖-」(東京、1957年) 93-94ページ
  35. ^ 「アカハタ」1956年2月6日付 記事「関鑑子さんおめでとう-スターリン平和賞受賞祝賀会」
  36. ^ a b ラヂオプレス通信社「RPニュース」1956年6月1日(第1813)号 B1-3 所載 記事「関鑑子女史へのスターリン平和賞授与式詳報」
  37. ^ 「RPニュース」1956年6月1日(第1813)号 A1-2 所載 記事「関鑑子女史スターリン平和賞授与式」
  38. ^ 毎日新聞 1956年6月1日付(夕刊)所載 記事「関女史 感激の受賞 スターリン平和賞」
  39. ^ 「アカハタ」1956年6月2日付 記事「スターリン平和賞の関鑑子さん-かがやかしい授与式 クレムリン宮で挙行」
  40. ^ 関鑑子「歌ごえに魅せられて」(東京、音楽センター、1971年) 316-317ページ
  41. ^ 日本共産党中央機関紙「赤旗」1973年5月3日付 訃報 「関鑑子さん死去-あす、音楽センターで告別式」
  42. ^ 「赤旗」1973年5月5日付 記事「故 関鑑子さんの告別式-共産党 蔵原常任幹部会委員らが弔辞」
  43. ^ 「赤旗」1973年5月24日付 記事「おごそかに音楽葬-故 関鑑子さんの業績たたえ」
  44. ^ 「大きな紅ばら: 関鑑子追想集」75-77ページ所載 関鑑子略歴
  45. ^ 「赤旗」1972年7月14日付 記事「『ひとすじの道』レコードに」
  46. ^ 「赤旗」1972年7月19日付 記事「はばたけ、新しい半世紀へ - 創立50周年祝賀中央集会」
  47. ^ 「週刊娯楽よみうり」1956年1月20日号所載 記事「関鑑子さん ― うたごえのプリマドンナ」15ページ
  48. ^ 社会人社 月刊「社会人」 1965年1月号所載 「特集1 私の好きな言葉・座右銘」(原稿執筆は1964年内)
  49. ^ 月刊「学習の友」1971年11月号所載 関鑑子「明日をひらく言葉 - 艱難汝を玉にす」
  50. ^ 「宮本百合子全集」第26巻(新日本出版社、2003年) 386-387ページ、1921年10月8日の日記
  51. ^ 「うたごえ新聞」1956年2月22日付 記事「関先生と語る美空ひばりさん」
  52. ^ 「大きな紅ばら: 関鑑子追想集」 285-288ページ所載、芥川也寸志「音楽の高みをめざして」






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「関鑑子」の関連用語

関鑑子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



関鑑子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの関鑑子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS