小野田寛郎
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小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年〈大正11年〉3月19日 - 2014年〈平成26年〉1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。和歌山県出身。
注釈
- ^ 中野学校は軍歴を残さないため卒業ではなく退校を使用。
- ^ 当時24歳で、「小野田元少尉、野生のパンダ、雪男を発見すること」を人生の目標にしていた
- ^ 当時の週刊現代の社員が、健康診断のため入院した小野田の病室のドアに「手記500万円也」とメモした編集長の名刺を挟んだのが決め手になったという[4]。
- ^ 15周目には発見者である鈴木紀夫との対談も載せた。
- ^ 第74回カンヌ国際映画祭・ある視点部門オープニング作品に選出され、日本でも10月8日に全国公開されて以降、大入りが続いている(11月時点)[4]。
- ^ 同著は津田信が代筆したところもあると津田信が主張。
- ^ 小野田が卒業した久留米第一陸軍予備士官学校は、後にその敷地や校舎の大部分が陸自の幹部候補生学校に転用されたという経緯があり、公式サイト等でもその連続性が主張されている。
出典
- ^ “【自然塾】一般財団法人 小野田記念財団 ~小野田寛郎 人物歴~”. onoda-shizenjuku.jp. 2022年10月16日閲覧。
- ^ “小野田寛郎 | 著者プロフィール | 新潮社”. www.shinchosha.co.jp. 2022年10月15日閲覧。
- ^ NHK. “小野田寛郎|NHK人物録”. NHK人物録 | NHKアーカイブス. 2022年10月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 週刊現代2021年11月27日号シリーズ昭和スクープ史・横井庄一と小野田寛郎「忘れられたふたりの帰国劇」p173-180
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- ^ 戸井(2005年)57頁
- ^ 戸井(2005年)56頁
- ^ 『最後の戦死者 陸軍一等兵・小塚金七』, p. 66-86.
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- ^ a b c d e f g h i 第12章 日本人は小野田元少尉をどう見たか : フィリピンの残留日本兵をめぐる語り(永井 均)『平和への扉を開く』 2019
- ^ 小野田『わがルバン島の30年戦争』7-13ページ
- ^ a b 永井均「残留日本兵とメディア : 小野田寛郎元少尉の帰還をめぐって (独立論文)」『広島平和研究』第7巻、広島市立大学広島平和研究所、2020年3月、61-91頁、CRID 1050296586507118976、ISSN 2188-1480。
- ^ “<あのころ>小野田さん救出 ルバング島に30年 | 共同通信”. 共同通信 (2021年3月9日). 2021年9月22日閲覧。
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- ^ 『土佐人の銅像を歩く』岩崎義郎著、土佐史談会、2003年
- ^ 「お気持ちは分かるが 老父の参加見合せ」『朝日新聞』昭和48年(1973年)2月8日朝刊、13版、3面
- ^ 引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、126頁、231頁。ISBN 4062122227
- ^ “財団法人小野田自然塾(団体情報)”. 2021-10-15 閲覧。
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- ^ “「日本女性の会」会長に小野田夫人=日本会議の女性団体=開拓30年の経験に期待=尾西兵庫会長=「しっかりした人」”. ニッケイ新聞. (2006年12月5日). オリジナルの2013年4月24日時点におけるアーカイブ。 2013年2月8日閲覧。
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- ^ “昭和の大戦争 第7章 昭和の終焉”. nposensi.com. 2015年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月18日閲覧。
- ^ 「たしかな命中率・威力 よく30年間もみがいて」『朝日新聞』昭和48年(1973年)1月19日朝刊、13版、3面
- 1 小野田寛郎とは
- 2 小野田寛郎の概要
- 3 評価
- 4 栄典・称号
- 5 小野田自然塾
- 6 外部リンク
小野田寛郎
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鈴木の死について、「死に残った身としては淡々と受け止めているが、友人の死は残念だ。」と語っている。小野田は慰霊のためにヒマラヤを訪れている。
※この「小野田寛郎」の解説は、「鈴木紀夫」の解説の一部です。
「小野田寛郎」を含む「鈴木紀夫」の記事については、「鈴木紀夫」の概要を参照ください。
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