小野田寛郎とは? わかりやすく解説

小野田寛郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 01:51 UTC 版)

小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年大正11年〉3月19日 - 2014年平成26年〉1月16日)は、日本陸軍軍人実業家。最終階級予備陸軍少尉旧制海南中学校久留米第一陸軍予備士官学校陸軍中野学校二俣分校卒。和歌山県出身。


注釈

  1. ^ 中野学校は軍歴を残さないため卒業ではなく退校を使用。
  2. ^ 当時24歳で、「小野田元少尉、野生のパンダ、雪男を発見すること」を人生の目標にしていた
  3. ^ 当時の週刊現代の社員が、健康診断のため入院した小野田の病室のドアに「手記500万円也」とメモした編集長の名刺を挟んだのが決め手になったという[4]
  4. ^ 15周目には発見者である鈴木紀夫との対談も載せた。
  5. ^ 第74回カンヌ国際映画祭ある視点部門オープニング作品に選出され、日本でも10月8日に全国公開されて以降、大入りが続いている(11月時点)[4]
  6. ^ 同著は津田信が代筆したところもあると津田信が主張。
  7. ^ 小野田が卒業した久留米第一陸軍予備士官学校は、後にその敷地や校舎の大部分が陸自の幹部候補生学校に転用されたという経緯があり、公式サイト等でもその連続性が主張されている。

出典

  1. ^ 【自然塾】一般財団法人 小野田記念財団 ~小野田寛郎 人物歴~”. onoda-shizenjuku.jp. 2022年10月16日閲覧。
  2. ^ 小野田寛郎 | 著者プロフィール | 新潮社”. www.shinchosha.co.jp. 2022年10月15日閲覧。
  3. ^ NHK. “小野田寛郎|NHK人物録”. NHK人物録 | NHKアーカイブス. 2022年10月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 週刊現代2021年11月27日号シリーズ昭和スクープ史・横井庄一と小野田寛郎「忘れられたふたりの帰国劇」p173-180
  5. ^ 和歌山県民の友WEB 8月号”. www.pref.wakayama.lg.jp. 2022年10月15日閲覧。
  6. ^ 小野田寛郎 | 著者プロフィール | 新潮社”. www.shinchosha.co.jp. 2022年10月15日閲覧。
  7. ^ 小野田寛郎 | 著者プロフィール | 新潮社”. www.shinchosha.co.jp. 2022年10月16日閲覧。
  8. ^ 陸自前川原駐屯地 幹部候補生学校史料館”. ki43.on.coocan.jp. 2022年10月16日閲覧。
  9. ^ 戸井(2005年)57頁
  10. ^ 戸井(2005年)56頁
  11. ^ 『最後の戦死者 陸軍一等兵・小塚金七』, p. 66-86.
  12. ^ a b 网易 (2014年10月22日). “二战最后一个阵亡的日本士兵:1972年10月”. war.163.com. 2019年7月26日閲覧。
  13. ^ 津田 1977, p. 不明.
  14. ^ a b 小野田さん帰国 42年後の真実”. NHKニュースWEB (2016年7月26日). 2016年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月26日閲覧。
  15. ^ a b 小野田元少尉 ジャングルでラジオを聴いて競馬を賭けていた(週刊ポスト1997年3月28日号からの抜粋記事)”. 週刊ポスト. 2021年6月22日閲覧。
  16. ^ a b 小野田元少尉はジャングルの中で大阪万博開催を知っていた(週刊ポスト1997年3月28日号からの抜粋記事)”. 週刊ポスト. 2021年6月22日閲覧。
  17. ^ a b c d e f g h i 第12章 日本人は小野田元少尉をどう見たか : フィリピンの残留日本兵をめぐる語り(永井 均)平和への扉を開く』 2019
  18. ^ 小野田『わがルバン島の30年戦争』7-13ページ
  19. ^ a b 永井均残留日本兵とメディア : 小野田寛郎元少尉の帰還をめぐって (独立論文)」『広島平和研究』第7巻、広島市立大学広島平和研究所、2020年3月、61-91頁、CRID 1050296586507118976ISSN 2188-1480 
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  21. ^ Hiroo Onoda, Soldier Who Hid in Jungle for Decades, Dies at 91”. The New York Times (2014年1月17日). 2021年9月22日閲覧。
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  26. ^ 財団法人小野田自然塾(団体情報)”. 2021-10-15 閲覧。
  27. ^ 小野田 寛郎さん”. 出没!アド街ック天国. テレビ東京 (2010年7月24日). 2019年5月8日閲覧。
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  29. ^ 賛同文化人・ジャーナリスト一覧” (PDF). チャンネル桜. 2019年5月8日閲覧。
  30. ^ 日本に欠けているもの=覚悟”. 日本創新党 荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感. 小坂英二. 2019年5月8日閲覧。
  31. ^ “訃報:小野田寛郎さん91歳=戦後も比の山中に29年”. 毎日新聞. (2014年1月17日). オリジナルの2014年2月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140201164614/http://mainichi.jp/select/news/20140117k0000e040208000c.html 2014年1月17日閲覧。 
  32. ^ 注目の人 バックナンバー No.029”. ブルーシー・アンド・グリーンランド財団 (2008年1月). 2014年9月21日閲覧。
  33. ^ 津田信. “幻想の英雄・全文公開”. 山田順. 2014年1月18日閲覧。
  34. ^ 『小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか』, p. 140.
  35. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2015年4月5日). “陸自幹部学校、史料館改装オープン 乃木大将の書など688点 福岡”. 産経ニュース. 2023年1月28日閲覧。
  36. ^ 如月隼人 (2009年6月29日). “【中国対日観】軍人精神に賞賛の声―ルバング島・小野田さん”. Searchina. オリジナルの2012年7月12日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20120712212737/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0629&f=national_0629_018.shtml 2016年7月29日閲覧。 
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  40. ^ 『最後の戦死者 陸軍一等兵・小塚金七』, p. 207-215.
  41. ^ “小野田寛郎さんに勲章 日本人初、ブラジル空軍”. 共同通信社. 47NEWS. (2004年12月17日). オリジナルの2013年4月30日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20130430203809/http://www.47news.jp/CN/200412/CN2004121701003972.html 2013年2月8日閲覧。 
  42. ^ 小野田寛郎プロフィール”. 小野田自然塾. 2014年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月21日閲覧。
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  44. ^ ヌード~MR.Oの帰還 Nude - 音楽CD - MUUSEO
  45. ^ Nude - フリー百科事典『キャメペディア(Camepedia)』
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  47. ^ 『最後の戦死者 陸軍一等兵・小塚金七』, p. 116-132.
  48. ^ 『小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか』, p. 47-P50.
  49. ^ 昭和の大戦争 第7章 昭和の終焉”. nposensi.com. 2015年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月18日閲覧。
  50. ^ 「たしかな命中率・威力 よく30年間もみがいて」『朝日新聞』昭和48年(1973年)1月19日朝刊、13版、3面


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小野田寛郎

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鈴木紀夫」の記事における「小野田寛郎」の解説

鈴木死について、「死に残った身としては淡々と受け止めているが、友人の死は残念だ。」と語っている。小野田慰霊のためにヒマラヤ訪れている。

※この「小野田寛郎」の解説は、「鈴木紀夫」の解説の一部です。
「小野田寛郎」を含む「鈴木紀夫」の記事については、「鈴木紀夫」の概要を参照ください。

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