小松未歩とは? わかりやすく解説

小松未歩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/16 22:38 UTC 版)

小松 未歩(こまつ みほ、3月30日[1] - )は、ビーインググループ関西を拠点としたレーベルGIZA studioに所属していた日本シンガーソングライター作詞家作曲家。血液型A型[3]兵庫県神戸市出身[2]。所属事務所はAding


注釈

  1. ^ ビーインググループの創業者である長戸大幸は、小松をデビューさせ、ROCKAKU名義またはKANONJI ROCKAKU名義にて小松の全てのアルバムと全てのシングルのプロデュースに、単独、または、小松と連名で携わっている。また、KANONJI名義にて小松のエッセイ集にも携わっている。
  2. ^ 2021年6月1日放送『hills Music Factory』(YES-fm)にて、hillsパン工場・ライブハウス支配人の斉田才が『今は長戸大幸プロデューサーが小松さんのプロデュースをやっていたとか言えるんですが…93年の11月に一応(長戸は)引退したことになっている。そこからアルバムとかのクレジットには(長戸の)名前が全部ない。プロデューサーの名前で…ROCKAKUさんとか…KANONJIというのとか…長戸プロデューサーだったんですね、あれは。』と語っている。
  3. ^ 2021年4月10日放送『OLDIES GOODIES』(FM滋賀)にて、長戸大幸が(長戸の秘書の面接試験を受けに来た小松に対し)「歌でも歌っているの?」と尋ねたところ、小松が「私、カラオケが大好きなんです。カラオケの曲は大体歌えるんです。」と答えたエピソードが紹介された[7]
  4. ^ a b 2021年4月10日放送『OLDIES GOODIES』(FM滋賀)にて、ばんばひろふみが「小松さんは残念ですね。もっと頑張ってやっていれば。」と語ったところ、長戸大幸は「彼女自身は、もう表に出たくなかったそうなので。」と答えている[7]
  5. ^ a b 公式プロフィールでは、小松はデビュー前に「3歳の頃よりエレクトーンを始める」「中学時代から、オリジナルで作詞作曲を始める」「バンドにキーボードで参加」としているが、GIZA制作チーフディレクターの寺尾広によるコラム(「Being Works 第5回 謎」『music freak Es Vol.20 (2011年8月号)』、エムアールエム)によると、小松は長戸大幸に作曲を勧められるまで、作曲デモを作成した事が無く、歌いながらキーボードを指1本、または、指2〜3本で弾いていたとしている。また、2021年4月10日放送『OLDIES GOODIES』(FM滋賀)にて、長戸大幸が(長戸の秘書の面接試験を受けに来た小松に対し)「楽器弾ける?」と尋ねたところ、小松が「いえ、弾けません」と答えたエピソードを紹介した[7]
  6. ^ 「錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう」は、ボーカルが上杉昇から和久二郎に変更後のWANDS(第3期)にとって初のシングル。
  7. ^ a b ただし、小松の活動拠点である近畿広域圏ABCテレビでは、『やじうまワイド』に内包されるANNニュース(5:50~5:59)のみのネットのため、「BEAUTIFUL LIFE」はオンエアされていない。
  8. ^ a b 新星堂の新譜情報「SOUND CUE」2000年2月号では、『「やじうまワイド」テーマソング(1/3よりオンエア)「HAPPY HOLIDEAYS」』(原文ママ)と、異なる曲名で紹介されていた。
  9. ^ a b 小松自身による撮り下ろし写真は、2001年10月15日付から2008年8月31日付までの間は、公式サイトトップに掲載後に、公式サイトのphotographのコーナーに再掲載されている。しかし、2001年10月初旬付および2008年9月15日付から2009年2月15日付で、公式サイトトップに掲載されていた計13枚の写真は再掲載されていない。月2回の頻度での更新が保てなかったのは2004年12月だけ、逆に月に3回更新したのは2001年10月だけである。
  10. ^ a b 公式サイトのWeb日記『Miho's Diary』への投稿は、2003年8月11日から2009年1月12日までの累計で278回。週1回の頻度での更新が保てなかったのは、2003年末~2004年始・2005年末~2006年始・2006年末~2007年始・2007年4月下旬~2007年5月上旬・2007年末~2008年始、の5回だけである。
  11. ^ 解散・引退もしくは他レーベルへ移籍したアーティストに類される。
  12. ^ 公開されたデモテープについて、「」は2つ流されたが、1つ目は原曲に対し歌詞とBメロが大きく異なるもの、2つ目は原曲に近いものであった。また「愛してる...」は、指1本でキーボードを弾きながら英語の仮歌を歌ったものであった。
  13. ^ 東京放送ホールディングスフジ・メディア・ホールディングスの合弁会社ム・ーハ (Mu-Ha) による企画アルバム。
  14. ^ ソロパートは、倉木麻衣北原愛子三枝夕夏上原あずみ愛内里菜→小松の順。
  15. ^ a b c d e f CDとはアレンジが異なる。
  16. ^ a b 名探偵コナン』オープニングテーマとして、同じ曲「謎」が2度起用された(小松によるオリジナルと、La PomPonによるカバー)。
  17. ^ テレビアニメ『忍ペンまん丸』最終回のサブタイトルは、同曲のタイトルより「輝ける未来、輝ける星」であった。
  18. ^ 番組での起用開始当初はCDとはアレンジが異なりキーも半音上げの状態で歌唱されていたが、CD化にあたり、CD収録のバージョンに変更された。
  19. ^ DEENへの提供曲「手ごたえのない愛」のセルフカバー版をタイアップ。
  20. ^ 第1話から第28話までのオープニングテーマはCDとはアレンジが異なっていたが、最終話のエンディングテーマはCD収録のバージョンが採用された。
  21. ^ ただし、小松の活動拠点である近畿広域圏読売テレビや中京広域圏の中京テレビではネットされていなかった。
  22. ^ 1997年度の鳥人間コンテスト選手権大会台風直撃のため競技全面中止となり、放送当日(1997年7月26日)は「大会中止ドキュメント」と「過去20回のダイジェスト」をスタジオから生放送した。
  23. ^ 歌詞の一部(「闇がもう一人の自分を作る」「駆け引きがカギ」)が、本編の内容およびオープニング映像とリンクしており、小松が本編のアニメソングとして用いられることを意識した上でFIELD OF VIEWへ提供した曲である。また、第3話まではCDとはアレンジが異なる。
  24. ^ 小松による楽曲のうち、現在のところ唯一、作曲が共作(吉江一男との)である。
  25. ^ 遠距離恋愛をしている彼女との長距離電話をイメージした歌詞であり、日本テレコムの「スーパーLCR」CMソングとして用いられることを意識した上でDEENへ提供した曲である。
  26. ^ a b ただし、J-groove magazine連載時に毎回掲出されていた序文の全てと、小松自身による撮り下ろし写真の一部が省かれている。
  27. ^ 原曲とカバー版とでは、2番サビの歌詞がひらがな1文字だけであるが違っている。(原曲では「君との季節(ひび)」である部分が「君との季節(ひび)」になっている。)
  28. ^ 「謎/ヤダ!嫌だ!ヤダ! 〜Sweet Teens ver.〜」のうち、「名探偵コナン盤」のみ収録。

出典

  1. ^ a b MUSIC CROSS ROAD 小松未歩“3月30日生まれ。オリジナル曲の作詞・作曲を続けながら、WANDS、DEENなどに楽曲提供もしている。”『WHAT's IN? (1997年12月号)』、ソニー・マガジンズ
  2. ^ a b "小松未歩のプロフィール". WEBザテレビジョン. KADOKAWA. 2022年8月22日閲覧
  3. ^ “気配り上手?な私は牡羊座のA型さん。”「型にはまる人となり」『ヘンな物さし。』2003年11月26日、ジェイロックマガジン社。
  4. ^ “あの阪神淡路の大きな地震が来るまでは話し半分でしたね。一瞬にして町も価値観も変えてしまうくらいの揺れはもう一生忘れられない衝撃です。”「温故知新」『ヘンな物さし。』2003年11月26日、ジェイロックマガジン社。
  5. ^ “あの震災から10年。神戸を愛する私の中に刻まれた記憶は、一生消えることはありません。”『Miho's Diary』2005年1月17日、公式サイトのWeb日記
  6. ^ a b 長戸大幸は、社員募集で面接に来た小松が、趣味のカラオケでヒット曲を沢山知っていたため、ヒット曲のツボも心得ている可能性があると考え、作曲を勧めた。(寺尾広「Being Works 第5回 謎」『music freak Es Vol.20 (2011年8月号)』、エムアールエム。)
  7. ^ a b c OLDIES GOODIES #28_女性ヴォーカル特集パート2、ミュージックフリークマガジン、2022年5月12日。
  8. ^ “ドライブは私の趣味のひとつ。”「ハイテク?な生活」『ヘンな物さし。』2003年11月26日、ジェイロックマガジン社。
  9. ^ 鹿島良雄「“隠れる女”たちの魅惑」『別冊宝島1474 音楽誌が書かないJポップ批評50 ZARD&アーリー90'sグラフィティ』2007年10月19日、宝島社。(ISBN 978-4-7966-5946-8)
  10. ^ “年齢非公表の上、テレビやラジオにも出演せず、ステージにも出ないという徹底ぶり。”「【1997年6月】謎/タイトル通り ナゾに包まれた小松未歩スポーツニッポンWebサイト『Sponichi Annex』2011年6月29日付記事
  11. ^ livehillspanの2013年1月10日12時7分のツイート- X(旧Twitter)「ライブハウスhillsパン工場はオープン当初はGIZA/ビーイング所属アーティスト専用のライブハウスでした。そのため、大物新人問わずあらゆる所属アーティストが一度はあのステージに登場しています。唯一、出演が実現しなかったアーティスト、それは小松未歩さんでした。」
  12. ^ artist express 小松未歩「音楽は兄からの影響が大きかった、兄がテープに入れてくれた曲をいつも聴いていました。」『JUNON (2000年4月号)』、主婦と生活社
  13. ^ a b “大手航空会社勤務だった小松未歩さんは、音楽制作会社ビーイング系列のビーグラム大阪で行われた、中途採用の社員面接に訪れました。この時、プロデューサーの長戸大幸さんと出会います。”(寺尾広「Being Works 第5回 謎」『music freak Es Vol.20 (2011年8月号)』、エムアールエム。)
  14. ^ “小松さんの最初に作られたデモは、96年8月26日に作られたもので、O-K-1(ギザでは小松さんの場合はKというように作家毎にデモ番号をつけています)、仮タイトルは「レイン」です。”(寺尾広「Being Works 第5回 謎」『music freak Es Vol.20 (2011年8月号)』、エムアールエム。)
  15. ^ 仮タイトルは「夕映え」であったが、テレビアニメ『名探偵コナン』のオープニングテーマとしてプレゼンするにあたり、歌詞に『名探偵コナン』の内容も意識した「謎」という言葉が入り、結局タイトルも「謎」とした。(寺尾広「Being Works 第5回 謎」『music freak Es Vol.20 (2011年8月号)』、エムアールエム。)
  16. ^ 第12回 日本ゴールドディスク大賞”. 日本レコード協会. 2021年7月31日閲覧。
  17. ^ saidasaiの2011年4月7日23時46分のツイート- X(旧Twitter)宇津本さんは辞めました。FEEL SO BAD関係の皆さんは色々と活動中です。小松さんは実質、限りなく引退に近い状態です。以上、私の知る限りでは…。」
  18. ^ 小松未歩メジャーデビュー25周年を記念して「名探偵コナン」主題歌含む全曲サブスク解禁”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2022年5月28日). 2022年5月28日閲覧。





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