小早川 毅彦
小早川毅彦の画像
芸名 | 小早川 毅彦 |
芸名フリガナ | こばやかわ たけひこ |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1961/11/15 |
星座 | さそり座 |
干支 | 丑年 |
血液型 | A |
出身地 | 広島県 |
身長 | 183 cm |
体重 | 81 kg |
URL | http://asaikikaku.co.jp/talent/profile/kobayakawatakehiko |
靴のサイズ | 27.5 cm |
プロフィール | 中学より野球を始め、PL学園では2度の甲子園出場を果たす。法政大学に進学し、1年春から4番1塁でデビュー。東京六大学野球で三冠王、日米大学野球で首位打者に輝く。ベストナイン5回。1984年ドラフト2位で広島に入団し、新人王獲得。87年、山本浩二氏の引退後"広島の四番"に座り、9月20日巨人戦では江川卓氏を後に引退を決意させたというホームランを放つ。24本塁打・93打点でその年の最多勝利打点王を獲得する。97年にヤクルトに移籍。開幕の巨人戦で、史上3人目の開幕3打席連続本塁打を放つなど、優勝に貢献。99年シーズン終了後引退、16年間のプロ野球生活に終止符を打つ。 |
代表作品1年 | 2022 |
代表作品1 | テレビ東京『トラジマスターズ2022』 |
代表作品2年 | 2022 |
代表作品2 | NHK BS1『スポーツ酒場"語り亭"「2022年 新春スポーツ巻頭言」』 |
代表作品3年 | 2019~ |
代表作品3 | NHK BS1『ワースポ×MLB』 |
職種 | スポーツ |
好きなスポーツ | 野球/ゴルフ |
趣味・特技 | MLB球場巡り/将棋/ゴルフ/釣り/映画鑑賞/美術館・水族館巡り/旅行/城・遺跡巡り/料理/愛犬の世話 |
ペット | 犬 |
» タレントデータバンクはこちら
小早川毅彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 01:04 UTC 版)
小早川 毅彦(こばやかわ たけひこ、1961年11月15日 - )は、広島県広島市安芸区出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、野球解説者、野球評論家。浅井企画所属。
注釈
出典
- ^ 松尾雅博 (2017年12月13日). “荒木大輔氏が大阪・PL学園へ 1期生の井元氏「投打の歴代No.1はKKコンビ」”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). オリジナルの2017年12月13日時点におけるアーカイブ。 2018年4月2日閲覧。
- ^ 松尾雅博 (2018年2月18日). “【乾坤一筆】PL学園の“潮目が変わった”小早川氏獲得と阪神・西岡の不合格”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). オリジナルの2018年3月12日時点におけるアーカイブ。 2018年4月2日閲覧。
- ^ a b 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ 読売新聞1986年10月24日17面「MVP 衣笠とブーマー 新人王は小早川(広島)・藤田(阪急)」読売新聞縮刷版1984年10月p1039
- ^ “【野球】子年のプロ野球 巨人&オリックスに縁起よし?”. デイリースポーツ online (2020年1月5日). 2022年6月23日閲覧。
- ^ a b c 日刊スポーツ1986年5月9日5面「小早川涙の1号 初先発も母の死知らず」
- ^ 読売新聞1986年5月9日17面「広島1イニング3連発」読売新聞縮刷版1986年5月p313
- ^ 読売新聞1987年9月21日17面「江川、9回二死"痛恨の一球" 小早川、逆転サヨナラ弾」読売新聞縮刷版1987年9月p915
- ^ a b “気がつけば40年(19)怪物が初めて人前で泣いた 江川卓が小早川毅彦に浴びた逆転サヨナラ2ラン”. スポニチアネックス. 2021年10月13日閲覧。
- ^ 読売新聞1987年9月21日17面「SBO あの江川が男泣き」読売新聞縮刷版1987年9月p915
- ^ “【小早川毅彦のベースボールカルテ】江川さんから言葉聞けてつかえ取れた「俺にとってすばらしい球だった」”. サンスポ. 2021年10月14日閲覧。
- ^ 【私の失敗(2)】 小早川毅彦、全国のスポーツ紙1面飾った「赤痢感染」
- ^ 「辻、小早川も」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)10月7日付朝刊、21面(スポーツ面)。
- ^ 1985年8月7日放送回。
[続きの解説]
「小早川毅彦」の続きの解説一覧
- 1 小早川毅彦とは
- 2 小早川毅彦の概要
- 3 経歴
- 4 人物
- 5 脚注
固有名詞の分類
- 小早川毅彦のページへのリンク