小幡景憲とは? わかりやすく解説

おばた‐かげのり〔をばた‐〕【小幡景憲】

読み方:おばたかげのり

[1572〜1663]江戸初期軍学者甲州流軍学の祖。甲斐の人。通称勘兵衛関ヶ原の戦い東軍で功をあげ、大坂夏の陣では城内にあって徳川軍内通門弟山鹿素行(やまがそこう)がいる。「甲陽軍鑑」を編纂(へんさん)したと伝えられる


小幡景憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/12 03:31 UTC 版)

小幡 景憲(おばた かげのり、1572年元亀3年)- 1663年4月3日寛文3年2月25日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将軍学者小幡昌盛の三男。幼名は熊千代、別名を孫七郎、勘兵衛。法名は道牛。養子に小幡景松(かげとし)、養女に庄田安勝(旗本3,000石)の室(庄田安利母)がいる。




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