小川光氏
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小川 光氏(おがわ みつうじ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての大名。豊後永山城(丸山城)主。日田藩の初代藩主ともする。通称は左馬助[3]、壱岐守。
- ^ a b c 長男または次男という。彦根藩の筋奉行に小川半左衛門が提出した由緒書では、光氏が長男、良氏(祐滋)が次男、実乗が三男となっている。『國領系図』では、左馬介良氏が嫡子で壱岐守光氏を弟としている。しかし異母兄弟であるということならば、嫡出を先に書いたということかもしれない。
- ^ 二男または三男。出家して、石清水八幡宮社の瀧本坊の住持となった。
- ^ a b 日田市教育庁文化財保護課編『永山城跡Ⅱ』日田市教育委員会、2013年
- ^ 現在の丸山町2丁目月隈公園。
- ^ a b c 日田市教育庁文化財保護課編『永山城跡』(日田市埋蔵文化財調査報告書 第99集) 日田市教育委員会 2011年
- ^ a b 堀田正敦「国立国会図書館デジタルコレクション 小川氏」『寛政重脩諸家譜. 第5輯』國民圖書、1923年 。
- ^ a b 大橋金造 1928, p.458
- ^ 小川正信(甚右衛門)の子[6]。先祖や系譜は不明[7]。
- ^ 小川又右衛門(氏綱)の子[6]。先祖や系譜は不明[7]。
- ^ 長順一郎著『総合村落史考 - 日田の歴史研究 -』歴研 2001年
- ^ 中野等「東京大学史料編纂所所蔵[徳大寺文書]・豊後國内御知行方目録』」『先哲史料館研究紀要』第3号(1998年)
- ^ 宮下良明「毛利高政日田玖珠代官の考察」 佐伯史談会編『佐伯史談(184)』 2000年
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