寺院名辞典 |
ウィキペディア |
専行院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/07/15 04:02 UTC 版)
専行院(せんこういん、生年不詳 - 明治5年6月11日(1872年7月16日))は、江戸幕府11代将軍徳川家斉の側室。俗名は美代(伊根とも)。
- ^ 深沢秋男『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』(文春新書)ISBN 978-4-16-660606-1
- ^ 生麦村名主・関口家の娘であった千恵は、中野清茂の紹介で専行院の局に10年間務め、退職して実家に帰った後も、たびたび旧主に呼ばれて二の丸に逗留していたことが『関口日記』により確かめられる。文久2年の江戸行きは大奥の雛見物を兼ねたもので、二の丸滞在がはっきりしている。千恵は元治元年(1864年)にも江戸に長く滞在しているが、前年に江戸城は西の丸、本丸、二の丸ともに焼失しており、専行院の居所はわかっていない。慶応元年(1865年)、千恵の死去により日記の消息は絶える(参考文献『日記が語る19世紀の横浜』ISBN 4-634-52020-6 収録の大口勇次郎著『「御殿伯母」関口千恵の生と死』、大口勇次郎著『女性のいる近世』ISBN 4-326-65185-7)。なお二の丸は慶応元年に天璋院の居住する御殿として再建されたが、そこに専行院をも含む歴代将軍の側室の住居があったことは記録に残されており、慶応3年(1867年)末に再び二の丸が焼失するまで、専行院は二の丸に住まっていたものと推測される(参考文献 畑尚子『幕末の大奥』岩波新書 ISBN 978-4-00-431109-6)。
- ^ 野村昭子著『赤門は知っている』ISBN 978-4-7947-0592-1
[続きの解説]
「専行院」の続きの解説一覧
- 1 専行院とは
- 2 専行院の概要
固有名詞の分類
専行院のページへのリンク