寄進地系荘園とは? わかりやすく解説

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きしんちけい‐しょうえん〔‐シヤウヱン〕【寄進地系荘園】

読み方:きしんちけいしょうえん

開発領主国司収奪から逃れるため、その所有地を中央の権門勢家寺社寄進することによって成立した荘園11世紀ごろから多くなり、寄進者はそのまま現地支配権認められ寄進受けた者は国から不輸・不入特権得た。→自墾地系荘園


寄進地系荘園

読み方:キシンチケイショウエン(kishinchikeishouen)

地方豪族寺社貴族領主権寄進することによって成立した荘園


寄進地系荘園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/21 05:39 UTC 版)

寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)とは、11世紀後半以後に寄進行為によって成立した荘園のこと。墾田によって成立した初期荘園(墾田地系荘園)と対比される。なお、近年ではこの呼称を否定して寄進型荘園(きしんがたしょうえん)と呼ぶべきとする考え方もある。


  1. ^ 在地領主は見返りに、その荘園の荘官に任じられ、安定した大きな収入を得た。
  2. ^ 公地公民制の解体で不可能となった人身的賦課(調)の代替だった。
  3. ^ 安田「寄進型荘園」『国史大辞典』
  4. ^ 鈴木「寄進地系荘園」『日本古代史事典』


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寄進地系荘園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:21 UTC 版)

荘園 (日本)」の記事における「寄進地系荘園」の解説

11世紀ごろから、中央政府有力者田地寄進する動き見られ始める。特に畿内では、有力寺社田地寄進する動きが活発となったいずれも租税免除目的とした動きであり、不輸権だけでなく、不入権田地調査のため中央から派遣される検田使立ち入り認めない権利)を得る荘園出現したこうした権利広がりによって、土地民衆私的支配開始されていく。 田堵は、免田中心に田地開発し領域的な土地支配進めたこうした田堵開発領主かいほつりょうしゅ)に含まれる開発領主中央の有力者や有力寺社田地寄進し、寄進受けた荘園領主領家りょうけ)と称した。さらに領家から、皇族摂関家などのより有力な貴族寄進されることもあり、最上位荘園領主本家(ほんけ)といった。本家領家のうち、荘園実効支配する領主本所ほんじょ)と呼んだこのように寄進により重層的所有関係を伴う荘園を寄進地系荘園といい、領域的な広がり持っていた。 開発領主たちは、国司寄人として在庁官人となって地方行政進出するとともに本所から下司公文などといった荘官任じられ所領に関する権利確保努めた開発領主中には地方国司として下向して土着した下級貴族多くいた。特に東国では武士身分下級貴族多数開発領主として土着化し、所領争い武力により解決することも少なくなかったが、次第武士団形成して結束固めていき、鎌倉幕府樹立土台築いていった。 寄進により荘園は非常に増えたが、田地の約50%は公領国衙領)として残存した。11世紀以降土地民衆支配は、荘園と公領2本の柱によっていた。すなわち公的負担荘園という権門勢家家政機関からの出費によっても担われたため、この支配形態荘園公領制というべき体制であったとする網野善彦の説が現在一般的認識となっている[要出典]。 寄進荘園乱立を防ぐため、天皇代替わりごとにしばしば荘園整理令発出されたが、荘園整理事務国司が行っており実効上がらない場合少なくなかったまた、梅村喬上島享らの指摘あるように、荘園整理令対象違法な手続によって立荘された荘園禁じたものであり、正規の手続によって立荘された荘園規制する法令ではなかった点にも注意が必要である。 1068年即位した後三条天皇は、1069年延久の荘園整理令発し荘園整理事務中央処理するために記録荘園券契所設置したそれまで荘園整理令異なり、この整理令では摂関家領も審査対象となるなど、厳重な審査が行われ、大きな成果上げた。これは、院政開始へつながる画期となった。その一方で延久の荘園整理令は「天皇勅許のもとに太政官符太政官牒発給得て四至確定され荘園公認される荘園整理令対象にはならない)」という荘園成立原則確立される画期となる。 更に院政確立によってこれまで荘園整理事務中心的役割果たしていた院(上皇法皇)に対す開発領主からの寄進相次ぐうになる加えて貴族官人寺社与えられていた封戸制度の崩壊もこれに拍車をかけた。太政大臣務めた藤原伊通二条天皇のために著した大槐秘抄』には、かつての貴族には封戸節会などの行事における臨時賜物などの収入があったが、今はそうしたものがないので荘園知行国からの収入公私の資を賄っているのであるとして、荘園整理令現実乖離していることを指摘している。また、当時天皇や院が相次いで造営してきた御願寺には封戸与えられたものの実質が伴うものではなく、寺の維持や行事のために封戸代わりとなる御願寺領となる荘園求め事態発生したこうした自己矛盾によって荘園整理政策破綻へ向かう事になるのである。 寄進地系荘園は、延久の荘園整理令が発せられた11世紀後半から全国各地本格的に広まってゆき、平安時代末期にあたる12世紀中葉から後期にかけて最盛期迎えた

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寄進地系荘園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:20 UTC 版)

寄進」の記事における「寄進地系荘園」の解説

詳細は「荘園 (日本)#寄進地系荘園」および「寄進地系荘園」を参照 日本の歴史において、寄進行為は、荘園制度広く普及する要因となった寄進地系荘園を生み出した。寄進地系荘園は、11世紀前後から、田堵称され古代後期の有力農民層が中央貴族大寺社に田地寄進する動きのなかで登場した

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