きしんちけい‐しょうえん〔‐シヤウヱン〕【寄進地系▽荘園】
寄進地系荘園
寄進地系荘園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:21 UTC 版)
11世紀ごろから、中央政府の有力者へ田地を寄進する動きが見られ始める。特に畿内では、有力寺社へ田地を寄進する動きが活発となった。いずれも租税免除を目的とした動きであり、不輸権だけでなく、不入権(田地調査のため中央から派遣される検田使の立ち入りを認めない権利)を得る荘園も出現した。こうした権利の広がりによって、土地や民衆の私的支配が開始されていく。 田堵は、免田を中心に田地を開発し、領域的な土地支配を進めた。こうした田堵は開発領主(かいほつりょうしゅ)に含まれる。開発領主は中央の有力者や有力寺社へ田地を寄進し、寄進を受けた荘園領主は領家(りょうけ)と称した。さらに領家から、皇族や摂関家などのより有力な貴族へ寄進されることもあり、最上位の荘園領主を本家(ほんけ)といった。本家と領家のうち、荘園を実効支配する領主を本所(ほんじょ)と呼んだ。このように、寄進により重層的な所有関係を伴う荘園を寄進地系荘園といい、領域的な広がりを持っていた。 開発領主たちは、国司の寄人として在庁官人となって、地方行政へ進出するとともに、本所から下司・公文などといった荘官に任じられ、所領に関する権利の確保に努めた。開発領主の中には、地方へ国司として下向して土着した下級貴族も多くいた。特に東国では武士身分の下級貴族が多数、開発領主として土着化し、所領の争いを武力により解決することも少なくなかったが、次第に武士団を形成して結束を固めていき、鎌倉幕府樹立の土台を築いていった。 寄進により荘園は非常に増えたが、田地の約50%は公領(国衙領)として残存した。11世紀以降の土地・民衆支配は、荘園と公領の2本の柱によっていた。すなわち公的負担が荘園という権門勢家の家政機関からの出費によっても担われたため、この支配形態を荘園公領制というべき体制であったとする網野善彦の説が現在一般的認識となっている[要出典]。 寄進荘園の乱立を防ぐため、天皇の代替わりごとにしばしば荘園整理令が発出されたが、荘園整理の事務は国司が行っており実効が上がらない場合も少なくなかった。また、梅村喬や上島享らの指摘にあるように、荘園整理令の対象は違法な手続によって立荘された荘園を禁じたものであり、正規の手続によって立荘された荘園を規制する法令ではなかった点にも注意が必要である。 1068年に即位した後三条天皇は、1069年に延久の荘園整理令を発し、荘園整理事務を中央で処理するために記録荘園券契所を設置した。それまでの荘園整理令と異なり、この整理令では摂関家領も審査の対象となるなど、厳重な審査が行われ、大きな成果を上げた。これは、院政の開始へつながる画期となった。その一方で、延久の荘園整理令は「天皇の勅許のもとに太政官符・太政官牒の発給を得て四至が確定された荘園は公認される(荘園整理令の対象にはならない)」という荘園成立の原則が確立される画期となる。 更に院政の確立によってこれまで荘園整理事務の中心的役割を果たしていた院(上皇・法皇)に対する開発領主からの寄進が相次ぐようになる。加えて、貴族官人や寺社に与えられていた封戸制度の崩壊もこれに拍車をかけた。太政大臣を務めた藤原伊通が二条天皇のために著した『大槐秘抄』には、かつての貴族には封戸や節会などの行事における臨時の賜物などの収入があったが、今はそうしたものがないので荘園や知行国からの収入で公私の資を賄っているのであるとして、荘園整理令が現実と乖離していることを指摘している。また、当時、天皇や院が相次いで造営してきた御願寺には封戸が与えられたものの実質が伴うものではなく、寺の維持や行事のために封戸の代わりとなる御願寺領となる荘園を求める事態も発生した。こうした自己矛盾によって荘園整理政策は破綻へ向かう事になるのである。 寄進地系荘園は、延久の荘園整理令が発せられた11世紀後半から全国各地へ本格的に広まってゆき、平安時代末期にあたる12世紀中葉から後期にかけて最盛期を迎えた。
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寄進地系荘園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:20 UTC 版)
詳細は「荘園 (日本)#寄進地系荘園」および「寄進地系荘園」を参照 日本の歴史において、寄進の行為は、荘園制度が広く普及する要因となった寄進地系荘園を生み出した。寄進地系荘園は、11世紀前後から、田堵と称された古代後期の有力農民層が中央貴族や大寺社に田地を寄進する動きのなかで登場した。
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