火消
(定火消 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 02:52 UTC 版)
火消、火消し(ひけし)とは、江戸時代の消防組織とその構成員である[注釈 1]。
注釈
- ^ 「火消し」という「し」を付けた表記も幅広く用いられているが、参考文献であげた書籍が基本的に「火消」の表記を採用しているため、本項では冒頭文を除き「火消」に統一する。
- ^ 火事の回数については研究者により差異が存在する。ここでは『江戸の火事』P.3の記述を参考に回数を引用した。
- ^ 火事に紛れての兵乱などが警戒され、治安維持を優先していた[2]。
- ^ 所々火消・方角火消・各自火消などは、この大名火消の一種である。
- ^ 水谷勝隆・伊東祐久・加藤泰興などに命じられている。翌正保元年(1644年)には10家3組に、正保3年には9家3組に、慶安2年(1649年)には10家3組にと編成が変わっていく[6]。
- ^ 犠牲者の数は10万人台との説もあるが、ここでは内閣府防災部門の中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」による平成16年3月の報告書[1]の人数をあげた。
- ^ 大名屋敷の火の見櫓建築には制限があり、方角火消では3丈(約9.1m)、それ以外の大名では建築を許された場合でも2丈5尺(約7.6m)までであった[9]。
- ^ 慶安3年(1650年)、4000石以上の旗本2名を火消役に任命したことを定火消のはじまりとする説もある。1658年説-『江戸の火事』『江戸学事典』など、1650年説-『江戸の火事と火消』『新消防雑学事典二訂版』など。
- ^ 定火消削減の理由は、江戸幕府の財政難にある。代わって八王子千人同心に火消役が命じられたが、大きな活動はなくやがて廃止された[14]。
- ^ 米沢藩上杉家の場合、『上杉家年譜』寛永18年(1641年)に火事で老中奉書により出動した記録で「防火士頭」「火消方」などの記述が見られる[15]。
- ^ この場合の「町」は尺貫法の単位であり、1町は約109m。
- ^ 参勤交代が3年に1度・江戸在留期間も100日となり、人質であった大名妻子の帰国も許されたため、江戸藩邸の人員が大幅に減少し火消役を維持できなくなった[18]。
- ^ 店火消に関しては、「何をもって店火消と呼ぶか」「誕生の時期・活動時期はいつか」などで諸説がある。「江戸における店火消の動向」では、店火消に関する研究の不足を指摘したうえで、町火消誕生後も幕末にいたるまで、店火消が江戸の消防に大きな役割を果たしていたとしている。
- ^ 「ひ」が「火」に通じるため避けられたことには異論がないが、他の文字が置き換えられた理由としては、語呂が悪いから・忌み言葉に通じるから・「ん」は元々いろは文字に含まれないから、といった様々な説がある。四番組と七番組が吸収合併された理由も、「四=死」「七=質」に通じるため、など諸説がある。詳細については参考文献や外部リンクを参照。
- ^ このことに関して、山本純美は著書において「本末転倒もはなはだしい」「消防制度誤用の珍しい例」と評している[24]。
- ^ 町火消時代から昭和14年(1939年)までの殉職者118人の名が記されている[25]。
- ^ 寛永通宝など銭貨中央の穴に通して束にするため使用する、細い縄や紐のこと。
- ^ 翌年には諸大名に対しても、火消人足として鳶職人を雇わないようにと命じている。これは、日ごろから町で乱暴を働いたり、火事のときに遺恨のあるものへ報復するなど、鳶を生業とする火消の問題行動が多かったためである[31]。
- ^ 「せ組」の場合、差し出す火消人足281人を、鳶人足70人に代えることが認められている[32]。
- ^ 本業の鳶で遠方へ出向くことを禁じ、風の強い日などには番屋へ詰めて警戒させるための費用。
- ^ 『江戸の火事と火消』P.63による。『江戸の火事』P.97では弘化年間に頭取が177人いたとしている。
- ^ 加賀鳶が消火を終えかけたところに、仙石兵庫の組が割り込んだと認められたため。
- ^ こうした興行では、地元の鳶人足であれば入場は自由であったが、このときは地元以外のものを連れて入場しようとしたことが争いの原因である。
- ^ 丸玉は芥子玉で、四角の台は枡をあらわす。また、丸玉は天で、四角の台が地をあらわすという天地陰陽説もある[35]。
出典
- ^ 『江戸の火事と火消』P.23
- ^ 「江戸火消制度の成立と展開」P.95
- ^ 『消防博物館歴史案内』江戸火消編「武家火消の誕生」
- ^ 「江戸火消制度の成立と展開」P.102
- ^ a b c 『元禄武鑑』による。(『江戸学事典』P.577)
- ^ 「江戸火消制度の成立と展開」P.98
- ^ 初回の任命は一組:水谷勝隆、伊東祐久、亀井茲政、松平英親 、二組:加藤泰興、京極高和、秋月種春、松平定房 三組:有馬康純、稲葉紀通、木下俊治、青山幸利 四組:稲葉信通、古田重恒、九鬼久隆、井上正利
- ^ 『江戸の火事と火消』P.49
- ^ 『江戸の火事』P.37
- ^ a b 『江戸消防 創立五十周年記念』P.74
- ^ a b c d e f g 白井和雄. “江戸時代の消防事情5”. 一般財団法人 消防防災科学センター. 2020年8月6日閲覧。
- ^ 「江戸火消制度の成立と展開」P.100
- ^ 『東京の消防百年の歩み』P.21
- ^ 『江戸を知る事典』P.43
- ^ 「江戸火消制度の成立と展開」P.112
- ^ 『江戸の火事』P.39
- ^ 『江戸三火消図鑑』P.196
- ^ 『町火消たちの近代』P.42
- ^ 黒木 1999, p. 68.
- ^ 黒木 1999, pp. 69–70.
- ^ 『江戸の火事』P.82
- ^ 『江戸の火事と火消』P.59
- ^ 『江戸の火事』P.90
- ^ 『江戸の火事と火消』P.93
- ^ 『江戸三火消図鑑』P.225
- ^ 『江戸の火事と火消』P.52
- ^ 『京のまちなみ史』
- ^ [https://twitter.com/nichibunkenkoho/status/1303893942035832832 国際日本文化研究センター公式Twitter 蔵書紹介]
- ^ 『町火消たちの近代』P.146
- ^ 『江戸三火消図鑑』P.193
- ^ 『町火消たちの近代』P.18
- ^ 『町火消たちの近代』P.21
- ^ 『江戸の火事』P.98
- ^ 『江戸三火消図鑑』P.197
- ^ 『江戸三火消図鑑』P.198
定火消
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 01:29 UTC 版)
定火消(じょうびけし、江戸中定火之番)は、万治元年(1658年)9月8日に創設された幕府直轄の火消。 明暦の大火の翌年、4000石以上の旗本4名(秋山正房・近藤用将・内藤政吉・町野幸宣)を選び、それぞれに与力6名・同心30名を付属させて設けられた。幕府直轄の消防組織であり、若年寄の所管、菊間詰の役職であった。 定火消の長は火消役である(先述の知行4,000石以上の旗本)。与力・同心のもとで直接消火活動に従事した者は「臥煙(臥烟)」と呼ばれた。4名の旗本には専用の火消屋敷と火消用具を与え、臥煙(専門の火消人足)を雇う費用として300人扶持を加算した。4箇所の火消屋敷はそれぞれ御茶ノ水・麹町半蔵門外・飯田町・小石川伝通院前に設けられ、すべて江戸城の北西であった。この屋敷の配置は、冬に多い北西の風による、江戸城延焼を防ぐためである。それぞれの担当地域で火事が発生すると、出動して武家地・町人地の区別なく消火活動に当たった。定火消は火事場の治安維持も担当し、鉄砲の所持と演習が許可されていた。なお、消火だけでなく緩急あるときは、火消役は配下を率いて、小姓組の背後に付くこととされており戦場でも火事装束を用いることとされていた。 翌年正月の1月4日には、老中稲葉正則の率いる定火消4組が上野東照宮に集結して気勢をあげ、出初(でぞめ)を行なった。これが出初式のはじまりとなり、以降毎年1月4日には上野東照宮で出初が行なわれるようになった。 万治2年・3年にかけて代官町など4箇所、寛文2年(1662年)と元禄8年(1695年)にも日本橋浜町などが追加で設けられ、合わせて15組が江戸城を取りまくように配置された。しかし、宝永元年(1704年)以降は10組(定員1280名)での編成となる。このため、総称して十人屋敷や十人火消などとも呼ばれた。10箇所の火消屋敷の場所は、赤坂溜池屋敷・赤坂御門外屋敷・飯田町屋敷・市ヶ谷御門外屋敷・小川町屋敷・御茶之水屋敷・半蔵御門外屋敷・駿河台屋敷・八代洲河岸屋敷・四谷御門内屋敷であった。 定火消を命じられた旗本は、妻子とともに火消屋敷で居住した。火消屋敷は約3000坪の広い敷地を持ち、緊急出動用に馬も準備されていた。敷地内には3丈(約9.1m)の火の見櫓が設けられ、合図のため太鼓と半鐘がそなえられていた。この火消屋敷が、現在の消防署の原型である。屋敷内には臥煙の寝起きする詰所があり、夜には長い1本の丸太を枕として並んで就寝した。夜に火事の連絡が入ると、不寝番がこの丸太の端を槌で叩き、臥煙を一斉に起こして出動した。出動に当たっては火事装束を身につけ、纏番を先頭に立て、騎馬の定火消と与力、続いて同心に臥煙という順番で隊列を組み、火事場に向かった。
※この「定火消」の解説は、「火消」の解説の一部です。
「定火消」を含む「火消」の記事については、「火消」の概要を参照ください。
「定火消」の例文・使い方・用例・文例
- 定火消のページへのリンク