完全主義者
完全主義者
完璧主義
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完璧主義(かんぺきしゅぎ、英: Perfectionism)とは、心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと[1][2] 。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者、もしくは完璧主義者(英: perfectionist)と呼ぶ。
- ^ Stoeber, Joachim; Childs, Julian H. (2010). “The Assessment of Self-Oriented and Socially Prescribed Perfectionism: Subscales Make a Difference”. Journal of Personality Assessment 92 (6): 577–585. doi:10.1080/00223891.2010.513306. PMID 20954059.
- ^ Flett, G. L.; Hewitt, P. L. (2002). Perfectionism. Washington, DC: American Psychological Association. pp. 5–31
- ^ Yang, Hongfei; Stoeber, Joachim (2012). “The Physical Appearance Perfectionism Scale: Development and Preliminary Validation”. Journal of Psychopathology and Behavioral Assessment 34 (1): 69–83. doi:10.1007/s10862-011-9260-7.
- ^ Osenk, Ivana; Williamson, Paul; Wade, Tracey D. (2020-10). “Does perfectionism or pursuit of excellence contribute to successful learning? A meta-analytic review.” (英語). Psychological Assessment 32 (10): 972–983. doi:10.1037/pas0000942. ISSN 1939-134X .
- ^ “Focusing on past successes can help you make better decisions” (英語). Harvard Health (2021年4月1日). 2023年7月18日閲覧。
- ^ ((補注)) 例えば、大人を例にとると、会社の仕事を最優先にしそれを完璧に行おうとする人は、残業が多くなりがちで、家庭がおろそかになりがちなる。学生ならば、勉学を完璧にしようとすると、運動のほうは苦手になったり、人付き合いが悪くなったり、様々な実体験が不足したりする。また、知識の習得に限っても、人類の全知識を知っている人もいないし、音楽でも、あるジャンルに精通していれば、他のジャンルは手薄になり不得手になる。さらに、スポーツでも、サッカーに上達しようとそれに集中すると、野球は凡庸になる。ひとりひとりの人間の持っている時間は有限だから全部は完璧にできない。
また、もっと深い問題もある。たいていの場面で、いわゆるジレンマは起きている。例えば人間関係の対処のしかたを例にとっても、夏目漱石が「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」と言ったように、どのような態度をとっても、それなりに負の面がつきまとい、問題点がある、ということは人生には多々ある。森鷗外も、エリートコース上にいる自分を守ろうとしたところ、ドイツの女性を見捨てて帰国せざるを得なくなり、ひとりの人間・男としては問題を残し、鴎外の人生は"完璧"ではなかった。だが、その反対の選択をしたとしても、やはり森鴎外の人生は問題が多い人生となったであろう、ということは評論家からしばしば指摘されている。例えば、子供の状態でも、"何でもソツなくこなす子供"は、ある角度からは立派なようではあるが、一方で "かわいげの無い子供"になってしまっているという点で完璧ではなくなる。大人であれ、子供であれ、皆ジレンマの中で生きているわけである。 - ^ 例えば、日本が高度成長期をなしとげ、日本製品がその品質で世界から高く評価されるまでに至ったのも、適材適所のノウハウを知っている経営者たちが、完璧主義的な性質を持つ職人をうまく活用していた、という面もある。ただし、経営の領域にこのような完璧主義的な(職人気質の)人間を参加させたりすると、ひどい困難にみまわれたり、経営破綻を引き起こすことが多いことは知られている。経営というものは部分的な業務をどれだけ犠牲にしてでも全体がほどほどのレベルで存続できることを選択しなければならない場面が多いからである。完璧主義者には、経営者的な臨機応変の妙技を理解・体得することが困難なのである。
- ^ Greenspon, Thomas S. "Is There an Antidote to Perfectionism?" Psychology in the Schools, November 2014: 986-998.
- ^ Perfectionism: Causes and Explanations
完全主義者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 07:37 UTC 版)
「エリッヒ・フォン・シュトロハイム」の記事における「完全主義者」の解説
シュトロハイムは度が過ぎるほどの完全主義者として知られた。その異常とも言える完全主義への執念は様々なエピソードに残されている。 例えば、サイレント映画にも関わらず俳優にはきちんと台詞を読ませて、何度もリハーサルを行ったり、本物の小道具を使ったり、作品の脚本には映画では撮影しないはずの登場人物の生育歴が綿々と書きつづられていたり、ついには役者の下着にまでこだわるほど。また、当時はサイレント映画なのに、ドアベルまできちんと鳴るように気配りさせたという。『愚なる妻』ではモンテカルロのカジノを、ハリウッドに実物そっくりに再現させてしまう。撮影期間も超過し完成するまで13ヶ月もかかり、製作費は最終的には110万ドルも投じられた。 『グリード』では全編ロケーション撮影を行ったが、ラストシーンはデスヴァレー(通称:死の谷)で撮影を強行し、酷暑のため病人が続出し、ついには死者まで出してしまう。『結婚行進曲』ではオリジナルの豪華な衣装を仕立て、豪勢な料理までも実際に作らせて、撮影中にキャストが口にした。これらはそれまでの映画撮影の常識を打ち破るものだった。 様々なものにこだわりすぎた挙句、ほとんどの作品で製作費がかさみ、上映時間もとても長くなってしまうことが多かった。その場合はほとんどの作品が勝手に編集されて大幅にカットされている。『悪魔の合鍵』ではフィルムの3分の1がカットされ、『愚なる妻』では上映時間が8時間にものぼったため、最終的に1時間50分ほどに短縮させられた。『グリード』では最初の完成作品は42巻で上映時間9時間を越える空前の長尺となり、会社と揉めた末2時間余りにずたずたにカットされた。第1部と第2部に分れていた『結婚行進曲』はスタジオから編集権を奪われたため、第2部は未公開で終わっている。 このような徹底しすぎる完全主義により、ほとんどの作品で予算超過・長尺となり、それが原因で会社やスタッフ、俳優とも何度も衝突している。結局シュトロハイムは、43歳にして映画づくりの道を断たれ、呪われた監督となった。
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