宇治山田空襲とは? わかりやすく解説

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宇治山田空襲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 07:01 UTC 版)

宇治山田空襲(うじやまだくうしゅう)は、第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)にアメリカ軍により行われた三重県宇治山田市(現・伊勢市)への空襲戦略爆撃)のことである。日本側も志摩半島もアメリカ軍の上陸地の一つとして想定し軍を駐屯させていた[1][2]が、この爆撃について、当時の日本報道は専ら、「神都」と称され国家的重要都市であった宇治山田を攻撃することで日本人の戦意を低下させる為のものであることを前提にした形で米側を非難している[3]1月14日伊勢神宮[注 1]豊受大神宮(外宮)への爆弾投下を皮切りに6度の大規模な攻撃を受け[6]、市街地の5割ないし6割を焼失した[注 2]


注釈

  1. ^ 伊勢神宮は正式名称を「神宮」と称し、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の2つの正宮に別宮・摂社・末社・所管社と呼ばれる宮社が付属し、合計125社から構成される[4][5]。本文中で取り上げる神社は、須原大社を除いて伊勢神宮を構成する125社に含まれる。詳細は「伊勢神宮」および「神宮125社の一覧」を参照。
  2. ^ 『伊勢市史』[7]および『日本地誌 第13巻』の記述[8]三重県庁ウェブサイト内では「市内の約60%を焼失」と記している[6]
  3. ^ 三菱重工業名古屋航空機製作所を爆撃した62機のうちの3機が帰途に宇治山田市へ襲来した[18]
  4. ^ 三重県庁ウェブサイト内の記述による[6]。三重県最初の空襲は1942年(昭和17年)4月18日に行われたドーリットル空襲で、四日市市と桑名郡長島村(現・桑名市)が機銃掃射を受けている[20]
  5. ^ 『伊勢市史』の記述[19]。『宇治山田警察署沿革誌』によれば重傷3人、軽傷14人。
  6. ^ 五丈殿・九丈殿は雨天時のお祓いや摂社・末社の遥祀に利用される建物であり、神楽殿は祈祷を行う建物[21]、斎館は神職が参籠する建物である[22]
  7. ^ 詳細を記すと、的矢湾以南を歩兵第442連隊、的矢湾以北から宮川以東を歩兵第443連隊、宮川以西の明野ヶ原を歩兵第444連隊が担当した[2]
  8. ^ 詳細を記すと、鳥羽町周辺を第13突撃隊、的矢湾・英虞湾五ヶ所湾周辺を第19突撃隊が担当し、震洋回天蛟竜海龍の格納庫を各地で建造中に終戦を迎えた[28]
  9. ^ 『伊勢市史』の記述では2月14日に油脂焼夷弾と小型爆弾が投下され、山林などで火災が発生したが、被害は軽微だったとしている[19]
  10. ^ 『伊勢市史』の記述[7]。『宇治山田警察署沿革誌』は4,859戸の焼失、死者75人、負傷者111人と記載[36]
  11. ^ 御垣内(みかきうち)とは、外宮正殿を取り囲む4つの玉垣のうち、最も外側にある板垣よりも内側の神域である[37]
  12. ^ 宿衛屋とは、神楽御饌の取り次ぎ、大麻守祓の授与、参宮証印の押捺などを取り扱う建物である[42]

出典

  1. ^ a b c d 朝日新聞デジタル:【6】高射砲 B29に届かず - 三重 - 地域”. 朝日新聞社. 2023年10月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 原(1995):58ページ
  3. ^ 匿名. “16”. ふるさと遺産を保存する会(富岡ふるさと会館). 2014年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月29日閲覧。
  4. ^ 三橋(2013):19 - 20ページ
  5. ^ JTBパブリッシング(2011):24ページ
  6. ^ a b c 山口千代己 (1988年7月). “悲惨だった三重県の空襲”. 三重の文化 - 歴史の情報蔵. 三重県環境生活部文化振興課県史編さん班. 2014年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月23日閲覧。
  7. ^ a b c d e 伊勢市 編(1968):445ページ
  8. ^ a b c d 日本地誌研究所 編(1976):353ページ
  9. ^ a b 日本の空襲編集委員会 編(1980):202ページ
  10. ^ a b c d 日本の空襲編集委員会 編(1980):239ページ
  11. ^ a b 稲本ほか(2000):285ページ
  12. ^ 新田(2014):38ページ
  13. ^ 日本地誌研究所 編(1976):365ページ
  14. ^ a b c d 新田(2014):39ページ
  15. ^ a b c d 三重県歴史教育者協議会 編(2006):107ページ
  16. ^ a b c d 三重県歴史教育者協議会 編(2006):108ページ
  17. ^ a b c d 矢野(2006):183ページ
  18. ^ a b 原(1995):57ページ
  19. ^ a b c d e f g 伊勢市 編(1968):444ページ
  20. ^ 三重県歴史教育者協議会 編(2006):298ページ
  21. ^ JTBパブリッシング(2011):33, 41ページ
  22. ^ 矢野(2006):47ページ
  23. ^ a b 西垣・松島(1974):247ページ
  24. ^ a b c d 中村尚徳 (2012年8月18日). “【5】戦意高揚へ誇大発表”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞. 2015年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月25日閲覧。
  25. ^ 三重県歴史教育者協議会 編(2006):104ページ
  26. ^ a b 消滅した戦争遺跡 - miesensoiseki ページ!”. 三重県歴史教育者協議会. 2023年10月6日閲覧。
  27. ^ 三重県歴史教育者協議会 編(2006):104 - 105ページ
  28. ^ 原(1995):58 - 59ページ
  29. ^ 原(1995):59ページ
  30. ^ a b c d e f g h i 日本の空襲編集委員会 編(1980):240ページ
  31. ^ a b 三重県歴史教育者協議会 編(2006):299ページ
  32. ^ a b 三重県歴史教育者協議会 編(2006):300ページ
  33. ^ 日本の空襲編集委員会 編(1980):240 - 241ページ
  34. ^ 三重県歴史教育者協議会 編(2006):301ページ
  35. ^ 戦意喪失目的にB29が撒いた 津空襲予告の『伝単』ビラ 戦争の悲惨さ知ってほしい 雲井さん秘蔵の資料公開”. 三重ふるさと新聞 (2013年7月11日). 2015年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月25日閲覧。
  36. ^ a b c d e 日本の空襲編集委員会 編(1980):241ページ
  37. ^ 出版事業本部 国内情報部 第三編集部 編(2014):18ページ
  38. ^ a b c d e 矢野(2006):184ページ
  39. ^ 矢野(2006):184 - 185ページ
  40. ^ a b 矢野(2006):185ページ
  41. ^ 伊勢おいないな日記 FC2版 戦時下の伊勢”. てっつん. 2023年10月6日閲覧。
  42. ^ 倭姫宮御杖代奉賛会/倭姫宮”. 倭姫宮御杖代奉賛会. 2015年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月23日閲覧。
  43. ^ 日本の空襲編集委員会 編(1980):205, 241ページ
  44. ^ 三重県歴史教育者協議会 編(2006):302ページ
  45. ^ 矢野(2006):181ページ
  46. ^ 矢野(2006):181 - 182ページ
  47. ^ 伊勢文化舎 編(2009):13ページ
  48. ^ 矢野(2006):188ページ
  49. ^ 矢野(2006):189ページ
  50. ^ a b 矢野(2006):182ページ
  51. ^ 伊勢文化舎 編(2009):13 - 14ページ
  52. ^ 伊勢文化舎 編(2009):14ページ
  53. ^ 宇治山田(ウジヤマダ)とは”. コトバンク. 2015年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月23日閲覧。
  54. ^ 日本地誌研究所 編(1976):353 - 354, 365 - 366ページ
  55. ^ a b c d e 三重県本部伊勢市職 (1996年). “戦後五〇年の取り組み”. 2015年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月24日閲覧。


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