宇佐神宮境内とは? わかりやすく解説

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宇佐神宮境内

名称: 宇佐神宮境内
ふりがな うさじんぐうけいだい
種別 史跡
種別2:
都道府県 大分県
市区町村 宇佐市大字南宇佐正覚寺日足
管理団体 宇佐市(平9・421)
指定年月日 1986.02.25(昭和61.02.25)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S45-5-119[[宇佐神宮境内]うさじんぐうけいだい].txt: 宇佐神宮本来の祭神は、八幡神比売神の二座であり、通説によれば、古い地方豪族たる宇佐[[公]きみ]の比売神信仰に、新来帰化人秦氏配下にあった[[辛嶋勝]からしまのすぐり]や[[大神朝臣]おおみわのあそん]の奉ずる八幡信仰加わり両者習合によって成立した。したがって、三比売神降臨説話知られる[[御許山]おもとさん]は、神殿をもたず、山頂三種巨石体をもつ[[磐座]いわくら]であるが、それに対す八幡神は、[[鷹居]たかい]社・小山田社などの中間の社地経て神亀天平年間に、現在の菱形池を中心とする亀山の地に勧請され、社殿造営された。前者宇佐氏後者大神氏により奉ぜられたものといわれる。一方宇佐氏も、仏教信仰をとり入れ虚空蔵寺法鏡寺等の中間の寺院経て天平年間法蓮八幡神宮寺である弥勒寺建立した。またその後比売神宮寺をも建立するのである
 このようにして天平年間宇佐宮と弥勒寺は、現在の地に完成しその後急速に勢力をのばし、国家重大事件登場し手向山奈良)、石清水京都)、ヶ岡(鎌倉)にも勧請され、中世には、八幡信仰全国的なものとなった
 宇佐宮の社殿は、応永古図や江戸時代絵図配置一致し弥勒寺も、塔・金堂東門等の礎石現存する大尾山社殿神護景雲年間営まれたところである。御許山には、延喜年間にいたり、正覚寺建立されたが、権現信仰発生とともに国東半島修験聖地六郷満山奥の院として発展し金山6坊が成立した。現在、坊中跡の石垣社僧墓地等多く残されている。宇佐南大門につづく[[宮迫]みやさこ]の地は、弥勒寺社僧出た26坊の跡地で、栄興寺(真乗坊)、永勝院、北坊等の敷地石垣坊中地割り基本となった三道等が現存している。
 以上のように、宇佐宮・弥勒寺大尾山御許山・宮迫の遺跡が一体として現存していることは、八幡信仰発展考え上できわめて貴重である。
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