宅八郎とは?

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宅八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/12/26 21:05 UTC 版)

宅 八郎(たく はちろう、1962年8月19日- )は静岡県浜松市出身の元おたく評論家である。宅八郎の名はたこ八郎をもじったものである。本名は矢野守啓(やの もりひろ)。浜松南高校卒業。法政大学社会学部卒業。

現在はホストかつアドバタイジング・ディレクター、また、ミュージシャンDJとしての顔ももつ(ただ、いずれも自称)。2008年現在、「宅八郎の直アド100%」なる出会い系のイメージキャラクターを務めている。

目次

人物

おたく文化の代表格として捉えられがちであるが、おたくとしての資質はそれほど高くなく(特別な専門・得意分野はもたない)、目立ちたがり屋的、奇をてらった行動(以下記載)も多いことから、一般的な意味での「おたく」とは一線を画する存在である。

もともと漫画少年で、手塚治虫に握手してもらったことがある。

「漫画研究会」に所属した大学時代はスーツ姿にバルタン星人着ぐるみをかぶって就職活動をおこないマスコミの注目を集め、ニュースにも取り上げられた。

テレビCMの製作会社に就職し蚊取線香コマーシャルに出演したが対人関係の問題から辞職に追い込まれ、フリーライターとなる。「プチセブン」にも寄稿していた。

1983年から、ライターとしての活動をスタートする。この頃には中森明夫野々村文宏田口賢司の「新人類三人組」に続く「新・新人類」というキャッチコピーを石丸元章、菅付雅信との3人でつけられかける。

1989年に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者宮﨑勤の逮捕によっておたくという概念がクローズアップされる中、日本独特のおたく文化というものの発生に衝撃を受け1990年2月におたく評論家としてデビュー。森高千里フィギュアとマジックハンドに紙袋を持つという姿で『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などのメディアに出演し、お茶の間に強烈な印象を与えた。

1994年11月2日、警視庁代々木警察署から道路交通法違反(当て逃げ)の容疑で逮捕された。これは同年7月22日に宅の自家用車が駐車場を出る際、隣の車をこすったにも関わらずそのまま走り去っためのものであるが、宅本人は上記「週刊ポスト」担当デスクの事件による別件逮捕と主張している。というのも、以前から宅はしばしば処刑執行人を名乗り、一方的な「復讐」として論争相手の個人情報を一般雑誌の紙面で公開し「やっちゃえ! OK!」「○○を殺す!」などと読者を煽っていたことから、社会秩維持のための懲罰的な側面も大きいとされる(宅の「復讐」はエスカレートすることも多く、標的にされた「週刊ポスト」の担当デスク(宅の告発記事を掲載していた)から住居侵入・強要・威力業務妨害で被害届が出されていたため、宅本人や「噂の真相」編集部に警察による強制捜査が入ると噂された。その時点で『噂の真相』は宅の連載を打ち切った)。

噂の眞相」では、『断筆宣言』を発表して連載を降りた筒井康隆に代わって田中康夫に連載執筆を依頼したところ、宅の連載が一時休載することになった。宅の弁によれば「自分が攻撃/批判している人物との同一媒体への寄稿を控えたいという意志を通せなくなるために編集部との話し合いがこじれて休載になった」という。宅と田中が揉めたため、その後安部譲二の仲介もあって一度は和解したものの両者の間で板ばさみ状態になった編集長の岡留安則胃潰瘍になった。

「噂の眞相」の連載を打ち切られるが、代わって扶桑社の「SPA!」に迎えられ新連載を開始した。

1995年地下鉄サリン事件が起こるとオウム真理教の扱いを巡って性急な犯人視報道を批判したため、「SPA!」に連載していた小林よしのり(小林はオウムを厳しく批判し、実際に殺害(ポア)の対象とされていた)に批判されるようになった。連載陣の松沢呉一鈴木邦男も宅に近い見解を持っていたため、小林は編集部と彼らが同調していると主張。宅は小林との公開討論を要求したが、小林は自身の持つ連載の影響力から論争を通じての売名行為だとして応じず、ついに連載を引き揚げるに至った。宅は看板連載をもつ小林に配慮した扶桑社によって小林批判の自粛を求められたとされるが、1996年切通理作を批判する中で切通自宅の電話番号を数度にわたり読者にわかるような形で公表したため、社会通念に従って連載は打ち切られ、当時の編集長は解任された。宅は背後に小林の圧力があったと主張しているが、小林自身は切通と面識があったため、常識的に編集部への抗議の意を伝えたものとされる。

「SPA!」上の連載では休載扱いとされていたが、1998年に再開即最終回という形で1回限りで掲載され、完全に終わった。

2004年3月から歌舞伎町のホストクラブ「club G」でホストとして勤務。その仕事ぶりが、テレビ番組『メレンゲの気持ち』『オオカミ少年』などで紹介されたことがある。現在も同店に在籍しているものの、2006年2月より自由出勤(予約指名があったときだけ出勤)という勤務形態となっている。本人曰く、仕事上を大量に飲むことが多くなりそれで体調に異変が生じたとのことらしい。また『オオカミ少年』に出演した際、「デビュー当時より、体重が10kg増加した」と語っている。

2006年4月に明日のスターを応援するピュアライムの学院長に就任する。2006年6月から「うにプロジェクト」のアドバタイジング・ディレクターとして活動、アキバ系撮影会やイベントに携わる。同時に、宅八郎プロデュース「COS de Live コスドライブ等身大(vol.1)」を開催。

近年「ハチロック」というロックバンドを結成して音楽活動を展開している。宅はボーカル作詞作曲担当である。また「メカヤクザ」名義でDJとしての活動も行っている。

現在、都内の下町近辺に在住。タレントデビュー時に彼のシンボルであった「マジックハンド」は健在。

特技は朝鮮語。観光目的で何度か北朝鮮を訪問している。

エピソード

  • 西村知美と西村個人に関するTVクイズで対決し、完全勝利したことがある。
  • 岡留は「噂の眞相」後期、特に「噂眞」休刊後は徹底して宅をこき下ろし続けた。ただし宅が「SPA!」休載に追い込まれたとき、宅の反論原稿を掲載したのも「噂眞」だった(ただし、宅も後に「BUBKA」(ブブカ)の連載等で岡留を批判している)。ちなみに宅と岡留は法政大学のOBで、同じ学部で同じ中野収ゼミの先輩後輩でもある。
  • 学生時代には本名や本名の変名で雑誌に連載を持っていたことがあるが当時の宅は現在のような風貌ではなく短髪で眼鏡もかけていなかった。また後のイメージと異なる社会学の権威である中野収の指導を受けた事もあり当初は広告会社を就職希望先にいれていたという。

渋谷区長選挙に出馬

2007年4月15日告示22日投票の渋谷区長選挙に宅は出馬の届け出をした。出馬表明をしたのは告示日前日の14日という電撃出馬だった。宅の出馬は一般紙・スポーツ紙で大きく報じられ、抱負を「渋谷を『萌える街』にしたい」と語った。他に出馬を届け出たのは現職の桑原敏武、自由民主党所属で区議6年、都議19年務めた矢部一、渋谷区役所に30年以上勤務した前リサイクル清掃部長で民主党日本共産党の区議団や一部無所属の区議が推すさかい正市など。市民団体オンブズマン渋谷行革110番」が宅を公認した。

宅の選挙特設サイトでは、決意表明や「19の改革宣言」から成る宅のマニフェストが掲載されている。宅は15日12時30分、渋谷駅ハチ公前で大挙した取材陣を前にメイド姿のコスプレに身を包んだボランティアギャル3人をひきつれ第一声を行った。演説で宅は「渋谷は秋葉原に負けている。メイド喫茶を増やし、アキバよりおしゃれな『渋谷系オタク』を確立する」と述べ、「渋谷の萌えタウン化」を公約した。

メイド姿のコスプレに身を包んだ複数の女性が選挙ボランティアとして手伝うなど、「萌え」をスローガンにした独自の選挙運動を行った。宅の運動は記者が同行取材することが多く、第一声や最終日の演説などは日刊スポーツなど複数のスポーツ紙で大きく扱われた。

選挙戦最終日には夕方から、フィナーレを飾るイベントとして「きよたまらんど in 渋谷」をハチ公前にて開催した。「宅八郎」の文字が大書された選挙カーをハチ公広場前につけ、歩道に木の箱を置き壇上にした。テレビ局のカメラがかけつけ新聞紙の記者がカメラをかまえるなど、報道陣で辺りはごった返した。聴衆が500人ほど足をとめる中、宅がプロデュースしている歌手・井万里きよあがアイドル風のドレスに身を包んで登場し「好きになっちゃいました」などの持ち歌を数曲披露した。その後、宅が登場して数分間、演説した。そして角川春樹の娘で元アイドルの鬼畜ライター・Kei-Teeが友人を代表して、「宅さんとは鬼畜仲間です。鬼畜にやさしい町づくりをしてくれる宅さんをよろしくお願いします」と応援演説した。

なお、宅は投票日前夜の4月21日夜に大阪のクラブイベントでDJをする事になっていた。これは数ヶ月前に予約がされており、宅の選挙出馬以前に決定していた。この事に対し宅は大阪でのDJをキャンセルせず21日の選挙演説期限ギリギリまで選挙活動を行い、その後、新幹線で大阪に向かい徹夜でDJを行って、翌朝、東京に戻っている。この様子の一部はテレビで放送された。

投票は22日に行われ即日開票された。結果は一期目の桑原敏武・区長が2万7044票(41.1%)を獲得して再選、矢部一が2万0729票(31.5%)、坂井正市が1万2424票(18.9%)、宅八郎が5605票(8.5%)獲得した。

供託金没収ラインの10%をわずかに下回る得票数で、100万円は区に没収となった。宅は日刊スポーツのインタビューで「正直これほど票を入れていただき、ありがたい。こういう機会が与えられることがあれば、チャレンジしたい」と語った。

兵庫県警による書類送検

2009年3月、音楽評論家の四方宏明に、ソーシャルネットワークサイト(SNS)mixiにおいて殺害をほのめかす書き込みを行い、同年10月23日兵庫県警東灘署に書類送検される[1]

著書

脚注

関連項目

外部リンク





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