こ‐かた【子方】
子方
糜芳
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糜 芳(び ほう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の将軍、政治家。字は子方。徐州東海郡朐県(江蘇省連雲港市)の人。兄は糜竺。妹は糜夫人(劉備の夫人)。本来の姓は縻(または靡)と読まれるという。劉備に仕えた後、呉に仕えた。
- ^ 『三国志』蜀志糜竺伝 竺弟芳為彭城相,皆去官,隨先主周旋。
- ^ 『三国志』蜀志関羽伝
- ^ 『三国志』呉志呂蒙伝
- ^ 『三国志』呉志呂蒙伝 先遣蒙在前。蒙至尋陽,盡伏其精兵舳艫中,使白衣搖櫓,作商賈人服,晝夜兼行,至羽所置江邊屯候,盡收縛之,是故羽不聞知。遂到南郡,士仁、糜芳皆降。 [一]呉録曰:初,南郡城中失火,頗焚燒軍器。羽以責芳,芳内畏懼,權聞而誘之,芳潛相和。及蒙攻之,乃以牛酒出降。
- ^ 『三国志』呉志虞翻伝 呂蒙圖取關羽,稱疾還建業,以翻兼知醫術,請以自隨,亦欲因此令翻得釋也。後蒙舉軍西上,南郡太守糜芳開城出降。
- ^ 『三国志』呉志呂蒙伝においては、注を含めると見解は統一していない。『三国志』呉志呂蒙伝では「士仁、糜芳皆降」(士仁・糜芳はいずれも投降した)と記されている。また『三国志』呉志呂蒙伝が引く『呉録』には、南郡の失火で軍器を焼失し、関羽から責任を問われたため、糜芳はそれに畏怖した。孫権がこれを聞いて誘うと、糜芳は通じた。呂蒙が攻めると、牛や酒を差し出して降伏した。『三国志』呉志呂蒙伝が引く『呉書』では、糜芳は城を守ったが、呂蒙が士仁の姿を彼に見せると、ついに降服した。と、それぞれ記されている。
- ^ 『三国志』呉志賀斉伝 初,晉宗為戲口將,以眾叛如魏,還為蘄春太守,圖襲安樂,取其保質。權以為恥忿,因軍初罷,六月盛夏、出其不意,詔齊督糜芳、鮮于丹等襲蘄春,遂生虜宗。後四年卒,子達及弟景皆有令名,為佳將。
- ^ 『三国志』呉志虞翻伝
- ^ このことについては虞翻の項も参照のこと。虞翻は呂蒙とともに糜芳を降伏させた張本人である。『三国志』呉志虞翻伝 翻數犯顏諫爭,權不能悦。又性不協俗,多見謗毀,坐徙丹楊涇縣。 『三国志』呉志諸葛瑾伝 虞翻以狂直流徙。
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