威徳王 (百済)とは? わかりやすく解説

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威徳王 (百済)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/16 04:08 UTC 版)

威徳王(いとくおう、525年? - 598年12月)は、百済の第27代の王(在位:554年 - 598年)。先代の聖王の長子。


  1. ^ 日本書紀 巻十九 欽明天皇紀 十四年 冬十月庚寅朔己酉
  2. ^ 『日本書紀』舒明天皇15年条
  3. ^ 熊津忠清南道公州市)と見るのが有力だが、京畿道安城市の安城川付近と見る説もある。
  4. ^ この百済と新羅との抗争について、『三国史記』百済本紀は威徳王8年(561年)とするが、新羅本紀は真興王23年(562年)、『日本書紀』は欽明天皇23年(562年)とする。
  5. ^ 『三国史記』新羅本紀では、562年8月に伽耶諸国が反乱を起こしたことと、新羅の将軍の異斯夫斯多含の前にすべて降伏したことを伝えている。
  6. ^ 昌王(威徳王)の丁亥年は567年に当たる。『三国史記』百済本紀や年表では丁亥年を王の14年としているが、先代の聖王の薨去は554年7月であり、立年称元であれば威徳王14年、踰年称元であれば威徳王13年となる。立年・踰年については改元を参照。


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