威徳王 (百済)
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威徳王(いとくおう、525年? - 598年12月)は、百済の第27代の王(在位:554年 - 598年)。先代の聖王の長子。
- ^ 日本書紀 巻十九 欽明天皇紀 十四年 冬十月庚寅朔己酉
- ^ 『日本書紀』舒明天皇15年条
- ^ 熊津(忠清南道公州市)と見るのが有力だが、京畿道安城市の安城川付近と見る説もある。
- ^ この百済と新羅との抗争について、『三国史記』百済本紀は威徳王8年(561年)とするが、新羅本紀は真興王23年(562年)、『日本書紀』は欽明天皇23年(562年)とする。
- ^ 『三国史記』新羅本紀では、562年8月に伽耶諸国が反乱を起こしたことと、新羅の将軍の異斯夫・斯多含の前にすべて降伏したことを伝えている。
- ^ 昌王(威徳王)の丁亥年は567年に当たる。『三国史記』百済本紀や年表では丁亥年を王の14年としているが、先代の聖王の薨去は554年7月であり、立年称元であれば威徳王14年、踰年称元であれば威徳王13年となる。立年・踰年については改元を参照。
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- 2 威徳王 (百済)の概要
- 3 登場作品
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