みょうしん‐じ〔メウシン‐〕【妙心寺】
みょうしんじ 【妙心寺】
妙心寺
名称: | 妙心寺 |
ふりがな: | みょうしんじ |
名称(棟): | 仏殿 |
名称(ふりがな): | ぶつでん |
番号: | 0578 |
種別1: | 近世以前/寺院 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1912.02.08(明治45.02.08) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 京都府 |
都道府県: | 京都府京都市右京区花園妙心寺町 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺 |
時代区分: | 江戸後期 |
年代: | 文政10(1827) |
解説文: | 妙心寺伽藍では、仏殿をはじめ十二棟がすでに一括して重要文化財に指定されているが、今回 南門 北門の二棟を追加した。 いずれも慶長十五年(一六一〇)に建ったものであり、伽藍の一環として重要である。 |
妙心寺
妙心寺
妙心寺
妙心寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/20 05:31 UTC 版)
妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園妙心寺町にある臨済宗妙心寺派の大本山の寺院。山号は正法山。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。開山(初代住職)は関山慧玄(無相大師)。寺紋は花園紋(妙心寺八つ藤)。
- ^ 荻須純道編著『妙心寺』、pp.33, 34, 37
- ^ 荻須純道編著『妙心寺』、p.40
- ^ 荻須純道編著『妙心寺』、pp.51, 52
- ^ 荻須純道編著『妙心寺』、pp.45, 46
- ^ 妙心寺 六百五十年の歩み
- ^ 荻須純道編著『妙心寺』、pp.55 – 57
- ^ 妙心寺 浴室
- ^ 妙心寺の浴室は「明智風呂」
- ^ 荻須純道編著『妙心寺』、pp.52, 175 – 176
- ^ 荻須純道編著『妙心寺』、pp.178 – 179, 188
- ^ 『禅文化の殿堂 妙心寺』志水一行編集協力 臨済宗大本山妙心寺微笑会発行 2019年10月 46p
- ^ 正則娘が水無瀬兼俊室
- ^ 『図説日本の史跡8 近世近代2』、同朋舎出版、1991年、p.139
- ^ 『禅文化の殿堂 妙心寺』臨済宗大本山妙心寺微笑会発行 2019年10月 P8~P26
- ^ a b “妙心寺のそろばんづら”. 世界大百科事典(コトバンク所収). 2021年10月8日閲覧。
- ^ a b “《正法山妙心禅寺米銭納下帳》”. 世界大百科事典(コトバンク所収). 2021年10月8日閲覧。
- ^ 若一光司. “京阪沿線の名橋を渡る シリーズ26 東福寺 通天橋”. 京阪電気鉄道. 2021年10月8日閲覧。
妙心寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 09:59 UTC 版)
美濃石川氏は京都妙心寺に関わりが深く、宗林(貞清)は妙心寺の東北部の塔頭、大雄院・桂春院・韶陽院等の造営に際して土地を寄進している。このため、妙心寺より正月11日に石川家に年賀の挨拶状を送ることが通例だったという。元和元年(1615年)の大坂城落城後、妙心寺の石川貞清の元を訪れ面会した福島正則は、貞清から妙心寺内の土地の一部を譲り受けて海福院を建立し、死者の冥福を祈った。
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