天野屋利兵衛とは? わかりやすく解説

あまのや‐りへえ〔‐リヘヱ〕【天野屋利兵衛】

読み方:あまのやりへえ

[?〜1727]江戸中期大坂商人赤穂義士のために武具準備して助け追放になったといわれる。「仮名手本忠臣蔵」では天川屋義平。


天野屋利兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/17 16:04 UTC 版)

天野屋 利兵衛 (あまのや りへえ、寛文元年(1661年) - 享保18年8月6日1733年9月13日))は、江戸時代大坂商人廻船問屋)。大坂の北組惣年寄を務めた。名は直之(なおゆき)。


注釈

  1. ^ 「天河屋義平は男でござる」[12]
  2. ^ 役人たちは実は大星一党の変装で、天河屋を試したというもの。作為性・類型性が強すぎるとされる。
  3. ^ 「浮図」は仏陀または仏塔を呼ぶのに用いた言葉である。
  4. ^ 明治元年11月5日には明治天皇が泉岳寺に勅使を派遣、大石らの行動に対し「百世の下、人をして感奮興起せしむ。朕深く嘉賞す」とする勅語を下した。
  5. ^ 「新泉岳寺」は寺院ではなく墓域の名称で、1913年(大正2年)に実業家児玉恒次郎が泉岳寺の許可を得、義士の分霊を受けて津屋崎町に開設したもの[15]
  6. ^ 真田増丸(僧侶・社会運動家)の墓に隣接してある。花尾山の四十七士の墓も、1913年(大正2年)に児玉恒次郎が津屋崎町に作ったものが始まりとされている。北九州での説明によれば、児玉は事業に失敗して墓石は人手に渡り、八幡町枝光(現在の枝光西公園)に移設されたのち、昭和初期に真田の弟子で当地の地主であった木村孔爾によって真田の墓の隣に移設されたとされている[16]
  7. ^ 興宗寺の四十七士の墓は、1935年(昭和10年)に木原善太郎が設けたもの
  8. ^ 北泉岳寺の義士墓地は、泉岳寺からの分霊を受けて1956年に建設。

出典

  1. ^ 天野屋利兵衛”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク所収). 2019年9月19日閲覧。
  2. ^ 土肥鑑高. “天野屋利兵衛”. 朝日日本歴史人物事典(コトバンク所収). 2019年9月19日閲覧。
  3. ^ a b 北原進. “天野屋利兵衛”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 2019年9月19日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 湯川敏男. “別冊 忠臣蔵番外編「大坂の段」ゆかりの地と人物巡り”. 大阪商工会議所. 2019年9月19日閲覧。
  5. ^ 天野屋利兵衛は男でござる”. 椿寺だより. 昆陽山地蔵院. 2019年9月19日閲覧。
  6. ^ a b 江崎政忠 1940, p. 15.
  7. ^ 江崎政忠 1940, pp. 15–16.
  8. ^ a b c 江崎政忠 1940, p. 16.
  9. ^ a b c 江崎政忠 1940, p. 17.
  10. ^ a b c d e 文楽 仮名手本忠臣蔵 十段目天河屋の段 作品の概要”. 日本芸術文化振興会. 2019年9月22日閲覧。
  11. ^ a b c d e f 天河屋義平一家”. いろは忠臣蔵. 立命館大学リサーチアートセンター. 2019年10月2日閲覧。
  12. ^ 文楽 仮名手本忠臣蔵 十段目天河屋の段 作品の概要”. 日本芸術文化振興会. 2019年9月22日閲覧。
  13. ^ a b c 湯川敏男. “忠臣蔵番外編「大坂の段」”. 大阪商工会議所. 2019年9月19日閲覧。
  14. ^ 川浪惇史 『江戸・東京石碑を歩く』心交社、2008年、15頁。 
  15. ^ 新泉岳寺”. 福津市. 2019年9月20日閲覧。
  16. ^ 八幡西区紅梅・鳴水地区”. 北九州市まちかど探検. 2019年9月20日閲覧。
  17. ^ 水曜日はお祭り番組と呼ばれたい。ご褒美も欲しい。”. FM福岡. 2019年9月20日閲覧。
  18. ^ 北海道の泉岳寺”. トリップアドバイザー. 2019年9月20日閲覧。
  19. ^ 漆喰造彩色天野屋利兵衛像 入江長八作”. 港区. 2019年9月19日閲覧。
  20. ^ 大石神社”. 京都観光Navi. 公益財団法人京都市観光協会. 2019年9月19日閲覧。
  21. ^ a b c d e f g h 川嶋みほ子. “第28話 天野屋利兵衛”. なにわ大坂をつくった100人. 公益財団法人関西・大阪21世紀協会. 2019年9月19日閲覧。
  22. ^ 聖光寺”. 京都観光Navi. 公益財団法人京都市観光協会. 2019年9月19日閲覧。


「天野屋利兵衛」の続きの解説一覧

天野屋利兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)

忠臣蔵」の記事における「天野屋利兵衛」の解説

町人・天野屋利兵衛は赤穂浪士肩入れし、浪士達が討ち入りに使うための武器調達して長持ち保管していた。 この事が奉行耳に入ると、奉行利兵衛を拷問し、武器入った長持ちの鍵を渡すように言った。 しかし利兵衛は拷問に耐え抜き利兵衛の態度感心した奉行は、武器準備の件を不問に付すのだった

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天野屋利兵衛

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赤穂事件」の記事における「天野屋利兵衛」の解説

天野屋利兵衛は、大坂惣年寄勤めた実在人物天野屋理兵衛」の事だとする説もある。しかしこの人物は赤穂藩とは無関係である。

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