天正地震とは? わかりやすく解説

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天正地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/01 00:18 UTC 版)

天正地震(てんしょうじしん)は、安土桃山時代天正13年11月29日1586年1月18日)および同年11月27日(1月16日)に中部地方で発生した巨大地震である。主に前者の地震についてを天正地震、後者は天正越中地震と呼ぶ[要出典]天正大地震(てんしょうおおじしん)あるいは天正の大地震(てんしょうのおおじしん)とも呼ばれる。また、各地の被害から長浜大地震(ながはまおおじしん)[2]白山大地震(はくさんおおじしん)、木舟大地震(きふねおおじしん)[3]天酉地震[4]とも呼ばれる。


注釈

  1. ^ 城があった正確な位置は不明である。
  2. ^ この際、同城に滞在していた東常堯(東常慶の子)も死亡したとみられる。
  3. ^ 山本は、海側にある10mの丘からは津波の痕跡が見あたらないので、笠原川沿いの津波が運んだと推測している。
  4. ^ 時刻を「子の刻」(午前0時ころ)とする報道があり、天正大地震の本震と若干異なるが、該当ページにはない。
  5. ^ 若狭で前兆となる地震が数日間あり、本震や津波はその後に来たとも読める。南海トラフの巨大地震でも、1カ所だけ前兆があったという例がある。
  6. ^ 天正13年5月14日にも三陸沿岸に津波が来襲したという。
  7. ^ 秀吉が、天正地震の時に琵琶湖沿岸にいたナマズがはねるのを見て、地震の原因をナマズと考えたためであるという。これ以前には地震とナマズを関連づけたものはないが、江戸時代にはナマズが地震を起こすという考え方に基づいて「鯰絵」が多く制作された。秀吉は地震後、即座に堅固な大坂城に避難する[62]。結局、伏見城は1596年の慶長伏見地震で崩壊し、「地震加藤」の逸話を生んだ。

出典

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