大飢饉とは? わかりやすく解説

大飢饉

作者ピーター・トレメイン

収載図書アイルランド幻想
出版社光文社
刊行年月2005.8
シリーズ名光文社文庫


飢饉

(大飢饉 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 03:51 UTC 版)

飢饉(ききん、: famine)とは、何らかの要因によりその集落に住む住人が飢餓状態に陥ることを指す。狭義においては、一地域における死亡率を急激に上げるような極端な食料不足の事態を指すことが多い。「饑饉」と書くこともあり「饑」は穀物が稔らないこと、「饉」は蔬菜(野菜)が熟さないことを指す[1]


  1. ^ 大阪市立衛生試験所家事衛生研究部「救荒植物」『家事と衛生』第16巻第3号、大阪生活衛生協会、1940年、57-64頁、doi:10.11468/seikatsueisei1925.16.3_57 
  2. ^ 二木敏篤, 井手口敬、「飢饉の歴史地理学的研究 : インドを中心として[3] 『九州産業大学国際文化学部紀要』 7, 49-60, 1996-11, hdl:11178/2998, NAID 110000979581
  3. ^ 田内堯、「アフリカに対する技術協力」『農業土木学会誌』 1986年 54巻 1号 p.47-54,a1, doi:10.11408/jjsidre1965.54.47
  4. ^ 高橋正樹「超巨大噴火と「火山の冬」」『エアロゾル研究』第27巻第3号、日本エアロゾル学会、2012年、278-283頁、doi:10.11203/jar.27.278 
  5. ^ FAO How the world is fed
  6. ^ a b 『続日本紀』
  7. ^ 『日本の歴史』13, p. 281.
  8. ^ a b 『日本の歴史』13, p. 283.
  9. ^ 峰岸純夫『中世 災害・戦乱の社会史』pp.76 - 77
  10. ^ 鈴木棠三 広田栄太郎 編 『故事ことわざ辞典』 東京堂出版 1968年 p.62
  11. ^ 岩手の欠食児、年末には5万人を越すか『東京朝日新聞』昭和9年10月12日、木の実、草の根も食べ尽くして『東京朝日新聞』昭和9年10月14日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p461-462 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  12. ^ 『春秋戦国』, p. 55.
  13. ^ 貝塚茂樹 『中国の歴史 中』 p.13
  14. ^ a b 貝塚茂樹 『中国の歴史 中』p.13
  15. ^ 『越境の古代史』, p. 147.
  16. ^ 『三国史記』
  17. ^ 『越境の古代史』, p. 146.
  18. ^ 『日本古代史「争乱」の最前線』, p. 313-318.
  19. ^ a b 『日本古代史「争乱」の最前線』, p. 313.
  20. ^ 三国史記』889年条
  21. ^ 『日本古代史「争乱」の最前線』, p. 318.
  22. ^ 古田元夫「ベトナムの1村落における1945年飢饉の実態:タイビン省ティエンハイ県タイルオン村ルオンフー部落に関する日越合同調査報告」『歴史学研究報告』第22号、東京大学教養学部歴史学研究室、1994年3月、125-160頁、CRID 1520853833914454528doi:10.11501/2298744ISSN 0493430X 
    岡田建志「《書評》ヴァン・タオ古田元夫著『ベトナムにおけす1945年飢饉-歴史の証拠』」『東南アジア -歴史と文化-』第1996巻第25号、1996年、137-140頁、doi:10.5512/sea.1996.137 
  23. ^ a b c ベトナム戦争 : サイゴン・ソウル・東京, p. 193
  24. ^ ベトナム戦争 : サイゴン・ソウル・東京, p. 192-193.
  25. ^ Glantz, David (2001), The Siege of Leningrad 1941–44: 900 Days of Terror, Zenith Press, Osceola, WI, ISBN 0-7603-0941-8


「飢饉」の続きの解説一覧

大飢饉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:57 UTC 版)

1315年-1317年の大飢饉」の記事における「大飢饉」の解説

1315年春にヨーロッパ広範囲で、異常に激しい雨が降り始めた。春と夏を通じて降り続き気温涼しいままであった。このような条件下では、穀物成熟せず、広範囲にわたる作物不作つながった動物のための干し草充分に用意できず、家畜のための飼料もなかった。イングランドでは、ヨークシャーノッティンガム低地浸水しヨークシャーのリバー・フォスの豊かな土壌流された。 穀物不作により食料価格上昇し始めイングランドでの価格は、春と真夏との間に2倍になったまた、雨天では海水蒸発させることは難しく、塩の入手困難になることで食塩価格30シリングから40シリング上昇したまた、食塩の不足により肉を長期間保存することも難しくなった。ロレーヌでは、小麦価格320上昇し、そのためにパン小作農らにとって手に入れることができなくなった長期緊急事態のための穀物貯蔵所は、王族領主ら、貴族ら、裕福な商人ら、そして教会限られていたため庶民食料不足した飢えた人々森の中で野生食用の根、ナッツ、そして樹皮などで飢え凌いだ文書化された事件の数は、飢饉規模示している。イングランドエドワード2世1315年8月10日セント・オールバンズ立ち寄り自身側近のためにパンを見つけるのに苦労したイングランドの王が食事をすることができなかったのは稀であったブリストル市の年代記1315年次のことがあったと報告した――'a great Famine of Dearth with suchmortality that the living coud scarcesuffice to Bury the dead, horse fleshand Dogs flesh was accounted goodmeat, and some eat their own Children.The Thieves that were in Prison didpluck and tear in pieces, such aswere newly put into Prison and devoured them half alive.' フランス軍ルイ10世の下で、フランダース侵入しようとしたが、オランダ低地では畑は浸され軍隊は沼にはまり込んだために、食糧運び去ることができずそれらを離れる過程食糧燃やしながら、撤退余儀なくされた。 1316年春にも、蓄え奪われヨーロッパ住民降り続いた貴族から農民までの社会すべての人々影響受けたが、特に農民住民95%を占め予備食料持っていなかった。そのため、その場飢え凌ぐために輓獣屠殺し、種粒を食べ自分食料を得るために子供たち捨てる(「ヘンゼルとグレーテル」を参照)など多く犠牲払い老人の間ではより若い世代生き残るために自発的に食べ物拒否することによって抵当入れられた。当時年代記共食い多く事件指摘したが、「そのような話が単にうわさの問題ではなかったかどうかは決しわからない」("one can never tell if such talk was not simply a matter of rumor-mongering")。 雨天続いたために、飢饉ピーク1317年であったが、天候は夏の頃までには通常のパターン戻った。しかし、その時まで人々肺炎気管支炎結核のような病気によって非常に衰弱していたために、また食料備蓄多く食べられていたために食糧供給比較正常なレベル戻り人口が再び増加し始めたのは、1325年になってからであった現代の歴史家は犠牲者について数々議論をしているが、多く都市町の人口の1025%死亡した推定されている。後に発生する黒死病1347年1351年)はより多く人々を殺すことになるが、それは数か月のうちにその地域襲ったに対して、大飢饉は何年続き大衆苦しみを長引かせた。 Jean-Pierre Leguayは「すでに過密状態であった世界、特に農村過疎の自然の出口であった町では、大規模な虐殺が行われた。」("produced wholesale slaughter in a world that was already overcrowded, especially in the towns, which were natural outlets for rural overpopulation")と述べた死亡率推定値は場所によって異なるが、いくつかの例は、イングランド南部での1015%の損失をふくんでいる。北フランス人口の約10%失った

※この「大飢饉」の解説は、「1315年-1317年の大飢饉」の解説の一部です。
「大飢饉」を含む「1315年-1317年の大飢饉」の記事については、「1315年-1317年の大飢饉」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大飢饉」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大飢饉」の関連用語

大飢饉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大飢饉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの飢饉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの1315年-1317年の大飢饉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS