大石友好
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大石 友好(おおいし ともよし、1954年1月15日 - )は、徳島県海部郡宍喰町(現:海陽町)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
- ^ ドラ3指名拒否の逸材「残念だった」 他競技で成功も…今も“夢見る”プロ野球での姿Full-Count、2024年1月3日
- ^ 神奈川大学野球リーグガイドブック
- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
- ^ 先発捕手が大石以外だった試合の東尾は1勝4敗。
- ^ 野村克也「野球は頭でするもんだ<完全版>(下) (朝日文庫)」朝日新聞出版、2010年4月7日、ISBN 4022620153、p91。
- ^ a b c “失った首脳陣からの信頼「ほとんど2軍に」 食事もできず…日本Sで経験した“悪夢””. Full-Count(フルカウント). 2024年1月9日閲覧。
- ^ 週刊ベースボール2020年12月7日号、隔週コラム、「やれ」という言える信念、廣岡達朗[野球評論家]、私が監督なら今でも森を使う、130頁
- ^ 西武OB4人がパ・リーグ監督に 東尾修が“4人の素顔”語るときどきビーンボール 週刊朝日
- ^ この事は「燃えよドラゴンズ!」の'88年度版でも歌われている。
- ^ a b c d e f “中日を「離れたくない」 予感通りに“恩人”から直電…勃発した西武との争奪戦”. Full-Count(フルカウント). 2024年1月16日閲覧。
- ^ 西武デーブ更迭か前ソフトB大石氏招へい 日刊スポーツ、2008年12月6日
- ^ プロスカウトになり、心掛けたこと。それは選手たちの準備段階を見ることでした 週刊ベースボール
- ^ V逸CS敗退の西武7人解雇で人事改革 日刊スポーツ、2010年10月28日
- ^ 当初はオープン戦でデビューする予定であったが、震災による節電で西武ドームでの試合が開催されなかったため上記のようになった。
- ^ “来季のコーチ契約について”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年10月31日). 2011年11月1日閲覧。
- ^ 来季のコーチ契約に関して 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2018年10月5日配信)2018年10月5日閲覧。
- ^ 城西大附属城西高等学校 硬式野球部
- ^ “スタッフ”. Toda Little Senior 戸田リトルシニア. 2022年5月19日閲覧。
- ^ a b c “先天性の心臓病「野球はやめた方がいい」 医師から非情の通告も…運命を変えた出会い”. Full-Count(フルカウント) ― 野球ニュース・速報・コラム ― (2024年1月2日). 2024年1月1日閲覧。
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