大木こだまひびき
グループ名 | 大木こだまひびき |
グループ名フリガナ | おおきこだまひびき |
グループメンバー名 | 大木 こだま/大木 ひびき |
性別 | 男性グループ |
URL | https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=10 |
プロフィール | 「大木こだま」と「大木ひびき」により、1981年に結成された漫才お笑いコンビ。大御所正統派しゃべくり漫才コンビであり、ボケを担当する大木こだまの「チッチキチー」のギャグで有名。1981年に「今宮こどもえびすマンザイ新人コンクール」第2回福笑い大賞、1991年に「上方お笑い大賞」第20回金賞、2005年に「上方お笑い大賞」第34回大賞を受賞するなど、数々の賞を受賞している。主な出演作は、DVD『結成25周年 走れ!エンターテイナー~スーパーライブ~』など。 |
代表作品1年 | 2005 |
代表作品1 | DVD・Blu-ray『結成25周年 走れ!エンターテイナー~スーパーライブ~』 |
職種 | お笑い |
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大木こだま・ひびき
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 14:00 UTC 版)
大木こだま・ひびき(おおきこだま・ひびき)は、日本の漫才コンビ。1981年5月にコンビ結成。所属事務所は当初、ファースト企画であったが1983年、吉本興業へ移籍し現在に至る。
- ^ 相羽秋夫『相羽秋夫の演芸おち簿ひろい』(羊書房、1987年)「ホンマにあんたらの漫才は上手い。感心する」(やすし)
- ^ 主催者以外の主な出演者は、横山ノック、上岡龍太郎、田渕岩夫、横山プリン等だった。
- ^ a b 『現代上方演芸人名鑑』(少年社、1980年)
- ^ 同大会の3位として、結成8か月目の島田紳助・松本竜介が優秀敢闘賞を受賞している。なお、第5回NHK上方漫才コンテストの舞台裏を描いたドキュメンタリーが、1975年放送のNHK総合テレビジョン『若者たちはいま ~泣き笑い漫才コンテスト』として放送された。この番組で、若き日の長髪姿のこだま・ひかりが映されて、音声だけだが漫才の様子も聞こえてくる(清水次郎長と鼠小僧次郎吉を混同して「清水の次郎吉」と言ってしまうネタ)。
- ^ この時代、地方のキャバレーで有名歌手の出る歌謡ショーがまだまだ盛んで、ショーの幕前で前座漫才をする余興が、毎週末のようにスケジュールされていた。
- ^ エムカク『明石家さんまヒストリー1 1955-1981 「明石家さんま」の誕生』(新潮社、2020年)には、その当時の明石家さんま出演分の花月の出番表が掲載されている。
- ^ 『お笑いスター誕生!!』で出会ったとんねるずらと交友がある。
- ^ "とんねるず、ウンナンらを輩出『お笑いスター誕生!!』の熱量が生んだ伝説". NEWSポストセブン. 小学館. 14 December 2021. 2021年12月14日閲覧。
- ^ 2月7日の7週目オンエアは差し替え編集が間に合わず、「この放送は〇月×日に収録したものです」という形式のテロップ入りで放映された。なお、8週目以降はカット。
- ^ a b “とんねるずも輩出『お笑いスター誕生!!』を語ろう 10週勝ち抜き直後に逮捕!”. 週刊現代 (2018年3月31日). 2018年3月31日閲覧。
- ^ a b “とんねるず、ウンナンらを輩出『お笑いスター誕生!!』の熱量が生んだ伝説”. 小学館 (2021年12月14日). 2023年11月2日閲覧。
- ^ 香川登枝緒『大阪の笑芸人』(晶文社)で、こだま・ひかりを有望株として挙げていた。
- ^ 香川登枝緒『笑芸覗鬼眼鏡』(1981.8.22 毎日新聞夕刊<大阪版>。このコラムで香川は「ひかりもきっとこれをどこかできいて泣いただろう」と記している)
- ^ “不遇かこつ大木こだま励ましたカウス師匠30年前の“予言””. 日刊ゲンダイ (2016年10月3日). 2016年10月17日閲覧。
- ^ 当時の収入差は10倍以上で、世紀の格差婚、ひも芸人などと揶揄されたという。ハワイの教会で挙式。帰国後、カウス・ボタンとコメディNo.1が発起人となって、結婚披露パーティーが開かれた。
- ^ こだまは、マツコ・デラックスもあきれる程の娘煩悩である。
- ^ 読売テレビ『八方・陣内・方正の黄金列伝』(2018年10月15日放送分)より。なお、こだまが「どつき」を嫌う最大の理由は、セリフによって客を笑わせたのか、そうではなく「どつき」によって笑わせたのかが曖昧になってしまうことを潔しとしないからだという
- ^ 新花月には、駆け出し時代のこだま・ひかりも出演したことがあった。
- ^ “大木ひびき、還暦を目前の“ケジメ婚””. 日刊スポーツ (2015年6月1日). 2015年6月1日閲覧。
- ^ メッセンジャーの黒田有は、このくすぐりを初めて楽屋で聞いた時、抱腹絶倒だったという(こだま・ひびきとのトーク番組でのコメント)。
- ^ 『花王名人劇場』に一度出演(1982年1月放送)。
- ^ 『ワイドYOU』(毎日放送)、『ナイトinナイト』(朝日放送)等
- ^ 『大阪センチメンタルジャーニー』(集英社刊、1997年)より。なお富岡は、やはり自著『漫才作者 秋田實』(平凡社ライブラリー、1986年)の中で、こだま・ひびきが1985年頃に「笑の会」で演じた漫才(グリコ・森永事件を題材にしたネタ)の台本を掲載している。
- ^ 『吉本興業商品カタログ』より
- ^ 1987年初頭開催のリサイタルのエンディングで、MCの里見まさとは「今日お越しの関係者の皆さん、どうか、こだま・ひびき君に漫才の賞をあげて下さい!」と涙しながら訴えていた。
- ^ 前年には念願の受賞を有力視されながら、大賞はハイヒールであった。なお、この年(1996年)の1月21日には横山やすしが亡くなったため、その功績を顕彰する主旨から、長年コンビ活動が休止したままだった横山やすし・西川きよしが大賞を受賞する可能性もあったらしい(結果的に、やすし・きよしは審査員特別賞を受賞した)。
- ^ これについてこだま本人はトークバラエティー番組『ナンボDEなんぼ』の中で、「ちくしょう」と言おうとして言い損ねたのかもしれない、コメントを発した際に横にいたなるみが「なんやそれ」と厳しいツッコミをいれたことからギャグとしてブレイクするとは思っていなかった、などのエピソードを語っている。
- ^ 小室哲哉『罪と音楽』(幻冬舎)
- ^ 『紳竜の研究 [DVD] 』(2007年5月30日発売)
- ^ “博多華丸、大吉の憧れの師匠「大木こだま、ひびき」について。 ~大木こだまと博多大吉の対談より~”. RENOTE (2017年3月29日). 2017年3月29日閲覧。
- ^ 『柄谷行人発言集対話篇』(読書人)
- ^ 毎日放送『That's オール漫才』(2021年3月21日放送)
- ^ “作家の読書道 第232回:浜口倫太郎さん その3「漫才作家になる」 (3/6)”. 本の雑誌社 (2021年8月27日). 2021年8月27日閲覧。
- 1 大木こだま・ひびきとは
- 2 大木こだま・ひびきの概要
- 3 芸歴など
- 4 受賞歴
- 5 出演映画
- 6 外部リンク
固有名詞の分類
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