大平氏とは? わかりやすく解説

大平氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 14:57 UTC 版)

大平氏(おおひらし)は、土佐国高岡郡蓮池城を拠点とする豪族[1]鎌倉時代初期から永禄9年(1566年)まで続いた。藤原秀郷の末裔という。


注釈

  1. ^ 一条氏の下向当時の当主は国雄とも父の国藤ともいわれる。
  2. ^ 戦国時代の土佐には大平氏の他に、幡多郡に抜群の家格を誇る土佐一条氏が、高岡郡西部にはやはり文人として聞こえた津野氏が、吾川郡には吉良氏長岡郡北部に本山氏、長岡郡南部に長宗我部氏香美郡香宗我部氏安芸郡安芸氏が割拠し、土佐七雄と呼ばれた。
  3. ^ 文芸を好む体質や在京性が戦国の乱世を生き抜くには華奢すぎたとされる[要出典]
  4. ^ 現在の土佐市宇佐町井尻にあたる。
  5. ^ 現在の高知市春野町西畑にあたる。
  6. ^ 現在の高知市春野町西分長谷にあたる。

出典

  1. ^ a b c 太田亮, p. 1295.
  2. ^ 吾妻鏡 嘉禎2.4.19、建長2.1.2、3.1.3、6.1.2、8.1.2等。


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大平氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 08:20 UTC 版)

蓮池城 (土佐国)」の記事における「大平氏」の解説

治承・寿永の乱により家綱夜須七郎行宗に討たれ蓮池城周辺一帯近藤国平与えられた。 近藤国平の子孫が大平氏を名乗り350年にわたり蓮池城主となる。 最盛期には多く国人従え数々支城を持つ。 大平氏は天文15年1546年)に一条氏敗れ蓮池城を失う。

※この「大平氏」の解説は、「蓮池城 (土佐国)」の解説の一部です。
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