大友皇子即位説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/16 15:58 UTC 版)
大友皇子即位説(おおとものみこそくいせつ)は、江戸時代から唱えられた学説で、日本史学で長く続く論争点である。
- ^ 『大鏡 全現代語訳』、101頁、103頁
- ^ 本文で後述するように、江戸時代に谷川士清が論じたのが初めだが、明治時代に即位説をとった平出鏗二郎もこの点については疑いをはさんだ(「大友天皇考」、第10号56頁)
- ^ 例として直木孝次郎『壬申の乱』5頁。
- ^ 平出鏗二郎「大友天皇考」、第8号70-71頁。
- ^ 明治時代後期の平出鏗二郎も、即位論が定まるまでは「順逆の転倒、名分の混乱甚だし」(「大友天皇考」第8号46頁)として、『大日本史』の功績を称えた。
- ^ 専門の歴史学者ではないが、小説家の松本清張は彼の『壬申の乱』で大友皇子即位説をとった。彼は書紀の記述に信を置けないとして史料の空白を想定し、その上で大友即位は当時の状況から客観的に帰納できると主張した。同書文庫版103-111頁。
- ^ 家永三郎「天皇」、『家永三郎集』第3巻298頁。
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- 1 大友皇子即位説とは
- 2 大友皇子即位説の概要
- 3 脚注
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