夢を追いかけて
原題: | |
製作国: | 日本 |
製作年: | 1991 |
配給: | こぐま兄弟舎 |
スタッフ | |
監督: | 小中和哉 コナカカズヤ |
プロデューサー: | 堀口良則 ホリグチヨシノリ |
原案: | 小中和哉 コナカカズヤ |
脚本: | 関顕嗣 セキアキツグ |
企画: | 藤門浩之 フジカドヒロユキ |
撮影: | 小中和哉 コナカカズヤ |
音楽: | 葛生千夏 |
編集: | 小中和哉 コナカカズヤ |
坂本希代子 サカモトキヨコ | |
録音: | 杉崎喬 スギサキタカシ |
助監督: | 松井隆義 マツイタカヨシ |
キャスト(役名) |
水沢蛍 ミズサワホタル (夕子) |
塩野谷正幸 シオノヤマサユキ (吉田晃二) |
解説 |
人生の岐路で別の道を選んだ“もうひとりの私”に出会うための旅に出たヒロインの姿を描く中編ファンタジー。よみうりテレビの映画番組「CINEMAだいすき!」のスタッフと「四月怪談」の小中和哉監督との出会いから生まれ、番組で九一年に放映されたオリジナル・ムービーを劇場公開。小中和哉が監督・原案・撮影・編集(共同)の四役を務め、脚本は「四月怪談」の関顕嗣が担当。 |
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
夕子は近頃、浜辺に立つ麦藁帽子の女の後ろ姿の夢を何度も見ていた。それは、人生の岐路で別の選択をした“もうひとりの私”であることを、夕子自身よく分かっていた。四年前、彼女がまだ学生だった頃、キャンパスマガジンの取材でイルカを飼育する研究者・吉田晃二に出会った。その時に撮った写真を絵葉書にして彼に送ろうとしたのだが絵葉書は投函されないまま、夕子の手元にあった。だが、恐らく絵葉書を投函した、もうひとりの私を訪ねて、夕子は旅に出る。青年の行き先を辿り、南の島へ向かった夕子は、そこで晃二の妻になっている。麦藁帽子をかぶったもうひとりの自分に出会う。『幸せなのね』と語りかける夕子。もうひとりの自分は麦藁帽子を夕子に渡していつのまにか消えてしまった。それは、夕子が夢から決別した時だった。 |
夢を追いかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 00:19 UTC 版)
「ディック・ブルーナ」の記事における「夢を追いかけて」の解説
退学した彼は、オランダの書店や、イギリス、フランスの出版社に研修に出向き、出版のいろはを学んだ。研修の合間には、同じ画家志望の者と出会い、美術館や画廊を精力的にまわり、さまざまなインスピレーションを得る。 特にパリでは、フェルナン・レジェやアンリ・マティスといった現代芸術家たちの作品に、ディックがそれまで抱いていた絵画のイメージを大きく覆すほどの強い衝撃とインスピレーションを受ける。そしてディック自身もスケッチブックを手に街の様々な風景をスケッチし、油絵にしていった。 20歳になったディックはオランダに戻り、父や祖父に改めて「自分は経営者には向いていない、アーティストになることを認めてほしい」ことを告げ、ディックを後継者にするつもりでいた父を説得し、これを了承。アーティストとしての道を歩むこととなる。 20歳以降の数年間、アーティストとしての方向性を探る日々が続いた。 本格的に絵を学んだことのなかったディックは、アムステルダムの国立美術アカデミーに入学するものの、方向性の違いから退学する。 その後、様々なアーティストの画法を研究し、アンリ・マティスや、レイモン・サヴィニャック、カッサンドルたちの単純な輪郭や明解な色で構成されたシンプル、かつ訴求力のある作品を研究し、自らのデザインスタイルを確立させていった。 1951年、24歳になったディックは、イレーネ・デ・ヨングという女性と婚約し、2年後に結婚。またこの頃からブルーナ社の専属デザイナーとして働くようになる。
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