地図測量人名事典 |
多胡実敏(たごみつとし ?-?)
陸地測量師、製版印刷技術者、写真亜鉛製版法を確立。
明治6年アメリカ人印刷師ボインドンから、陸軍兵学校の川上寛、近藤正純らが石版印刷を学んだが、この時期の地図印刷はもっぱら銅版による製版印刷であった。明治10年には、転写石版による地図「西街道図」、「熊本近傍図」などを印刷した。これが最初の石版印刷である。
明治16年陸地測量部地図課に銅石版担当部が新設され、そこの石版主任に多胡が命じられ、彼が彫刻した陸地測量部での石版彫刻による第1号地図「清国湖南省図」を製版印刷した。
多胡は、明治20年自費でドイツに留学し、製版印刷等の技術を習得し、明治23年に帰国した。帰国後は、ヨーロッパで学んだ製版技術に改良を加え写真亜鉛製版法を確立した(明治24年)。その技術によって、明治28年の日清戦争中には、迅速性を生かした戦時製版印刷に成功した。
また、ドイツからの帰国時に持参した回転烏口を製図作業に使用することを推奨し、以来日本でも測量器具商玉屋らの手により日本人向けに改良したものが長く利用された。
明治6年アメリカ人印刷師ボインドンから、陸軍兵学校の川上寛、近藤正純らが石版印刷を学んだが、この時期の地図印刷はもっぱら銅版による製版印刷であった。明治10年には、転写石版による地図「西街道図」、「熊本近傍図」などを印刷した。これが最初の石版印刷である。
明治16年陸地測量部地図課に銅石版担当部が新設され、そこの石版主任に多胡が命じられ、彼が彫刻した陸地測量部での石版彫刻による第1号地図「清国湖南省図」を製版印刷した。
多胡は、明治20年自費でドイツに留学し、製版印刷等の技術を習得し、明治23年に帰国した。帰国後は、ヨーロッパで学んだ製版技術に改良を加え写真亜鉛製版法を確立した(明治24年)。その技術によって、明治28年の日清戦争中には、迅速性を生かした戦時製版印刷に成功した。
また、ドイツからの帰国時に持参した回転烏口を製図作業に使用することを推奨し、以来日本でも測量器具商玉屋らの手により日本人向けに改良したものが長く利用された。
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