壺切御剣
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壺切御剣(つぼきりのみつるぎ/つぼきりのぎょけん)は、日本の皇太子(東宮)もしくは皇嗣に相伝される太刀。皇室経済法第7条に規定する皇位とともに伝わるべき由緒ある物(いわゆる御由緒物)であり、三種の神器や宮中三殿とともにいわゆる御由緒物の中でも別格の扱いを受けている[1]。別名は「壺切の御剣」「壺切太刀(つぼきりのたち)」。
注釈
- ^ 所有者は藤原長良・藤原良房・藤原基経など諸説がある。なお、俗に漢の張良の剣とする伝承も存在する (壺切太刀(国史))
- ^ 三条天皇の目が不自由になる直前の2月9日に登華殿より出火し、諸殿舎が焼失。翌長和4年(1015年)11月17日に、新造された内裏の東側から出火。
- ^ 敦明親王は道長の娘から生まれたわけではなかったため、仮に親王が即位した場合、外戚として権勢を得ることがかなわなかった。辞退により、親王はもはや道長にとって危険性がなくなったため、以後はその処遇に関しサービスに努めた。
- ^ 頼通、教通とともに道長の子であるが、異母弟である。能信には彼なりの計算があったのであろう。ただし、彼は尊仁親王の即位を見ることなく治暦元年(1065年)に薨去してしまう。
- ^ 松浦によれば、源師房の『土右記』永承元年11月22日条に東宮(後三条天皇)が壺切御剣を所持していることを示す記述があるとしている[7]。
- ^ 仮にこの話が「後三条院と関白」の話とすれば、関白=頼通となるが、「故三条院と関白」の話とすれば、実際には関白になっていないものの、「御堂関白」と呼ばれた道長の故事として考えられる。
出典
- ^ a b c 宮内庁『御物調書』1989年、p. 1
- ^ 壺切太刀(古代史) & 2006年.
- ^ a b c d e 壺切太刀(国史).
- ^ 稲田智宏 『三種の神器(学研M文庫)』 学研パブリッシング、2013年、p. 43。
- ^ 『古事談』。
- ^ 『大鏡』。
- ^ 新日本古典文学大系32『江談抄 中外抄 富家語』(岩波書店)P102下段注釈部分参照
- ^ 河内祥輔「後三条・白河「院政」の一考察」(初出:石井進 編『都と鄙の中世史』(吉川弘文館、1992年)/所収:河内『日本中世の朝廷・幕府体制』(吉川弘文館、2007年) ISBN 978-4-642-02863-9)、2007年、P96
- ^ 「豊後国行平」と「備前国長光」 八條忠基 2019年11月8日
- ^ 歴代皇太子の御剣、天皇陛下から秋篠宮さまへ 産経新聞 2019年9月26日
- ^ 大阪大学古代中世文学研究会 編『皇統迭立と文学形成「第二部 中世の皇統迭立と文学形成 1院政期から中世への視界 坂上の宝剣と壺切―談話録に見る皇統・儀礼の古代と中世― 荒木 浩」』「六 坂上宝剣と壺切」和泉書院、2009年 P134-141
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