【塹壕戦】(ざんごうせん)
戦争において、当事国同士が戦場に長大な塹壕を築城し、互いに相手の塹壕を突破できずに長期に渡って戦線が膠着した状況。
俗に第一次世界大戦を指す。
これを引き起こしたのは、その10年前に起きた日露戦争の旅順要塞攻防戦における戦訓が基であった。
この戦いで、旅順要塞に籠もったロシア軍は、効率的な障害システムによる足止めと機関銃による猛烈な弾幕によって、乃木希典将軍率いる日本軍攻略部隊に大損害を与えた。
この時にロシア軍の採った布陣は、現代の基準で考えても歩兵による突破が不可能なものであり、有効な対抗戦術が確立されていなかった当時ではおよそ難攻不落以外の何物でもなかった。
参戦各国軍の将兵は、ことごとく塹壕線への無謀な突破行を試みては壊滅し、あるいは無謀だからと占領を試みずに間接砲撃だけを無意味に繰り返し、結果として史上空前の膨大な戦死傷者を生み出す事になった。
それから間もなくして、これを無力化できる新兵器――機関銃では破壊不可能な装甲を持つ「戦車」と、地形に左右されない機動力を持つ「爆撃機」が登場したことにより、塹壕戦は早くも短い歴史に終わりを告げることになる。
しかし、その短い歴史は間違いなく当時の「史上空前の惨劇」であり、「世界大戦」という異常事態を人類史最大の汚点として世界に知らしめたものである。
その衝撃と畏怖がいかほどのものだったかは、その後の国際連盟、不戦条約の動きなどをみても明らかだろう。
いわゆる人権運動、平和主義は全て塹壕戦の惨禍に対する厭戦感情から始まったと見る向きさえある。
実際、その戦禍のあまりの恐ろしさゆえに当時の有識者達でさえ「第一次世界大戦を上回る戦争はもう二度と起こらないだろう」と予測していたほどだったのだ。
塹壕
(塹壕戦 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 08:55 UTC 版)
塹壕(ざんごう、仏: tranchée、英: trench、独: Graben)は、戦争において敵の銃砲撃から身を守るために陣地の周りに掘る穴または溝である。
注釈
出典
- ^ 名和弓雄『長篠・設楽原合戦の真実』第2章「馬防柵神話の崩壊」、雄山閣、平成10年(1988年)刊行。
- ^ 「普通のマスケット銃で200ヤード(180m)離れた敵を狙っても、月に命中させようとするようなものだ」
(1814年ハンガー大佐。原典hughes,firepower26ページ。邦訳例『飛び道具の人類史』183ページ) - ^ 「施条した銃砲が圧倒的な破壊力を発揮し、兵士たちは塹壕や地下掩蔽壕に避難することを余儀なくされた。伝統的な白兵突撃は多くの犠牲を出すようになり、戦場で目立つ騎兵は地形に隠れやすい歩兵より射撃に脆弱であり、衰退し始めた。」『飛び道具の人類史』190Pより引用。
- ^ 「黒色火薬は煙が多く出る。連続射撃をすると煙で前が見えなくなる」『「鉄砲」撃って100』(かのよしのり著)175Pより引用。「実際の戦場は黒色火薬の発射によるものすごい白煙で、ほとんど何も見えない状態だった思われる」『日本甲冑史[下巻]』(中西立太著)」71Pより引用。
- ^ 『ピストルと銃の図鑑』(著:小橋良夫 関野邦夫・池田書店)P.179
- ^ 19世紀後半には、小銃も大砲も弾薬を後部から装填する後装式が主流になり、操作が容易になるとともに発射速度が大幅に増加した。」『飛び道具の人類史』189Pより引用。
- ^ 「武器の改良は歴史家が産業革命と称する現象の一部であり、産業革命全体と関連付けて考察しなければならない。(中略)大量の弾薬を戦場に運ぶことを可能にした。新たに開発された鉄鋼類や精密な工作機械の出現、互換性のあるパーツの大量生産は、兵器のデザインや生産様式や使用方法に革命的な変化をもたらした」『飛び道具の人類史』189Pより引用。
- ^ 「銃身や砲身に腔線を刻むことで(中略)命中精度が高まった」『飛び道具の人類史』189Pより引用。
- ^ NHKスペシャル『映像の世紀』第2集「大量殺戮の完成」(1995年4月15日放送、日本放送協会)において引用されたもの。テロップでは「イギリス兵士の手紙より」と表記されているが、原典については不明。
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