塩狩峠とは?

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塩狩峠

原題:
製作国:日本
製作年:1973
配給:松竹
スタッフ
監督:中村登 ナカムラノボル
製作:長島清 ナガシマキヨシ

小梶正治 
原作:三浦綾子 ミウラアヤコ
脚本:楠田芳子 クスダヨシコ
撮影:竹村博 タケムラヒロシ
音楽:木下忠司 キノシタタダシ
美術:横山豊 ヨコヤマユタカ
編集:森弥成 
録音:田中俊夫 タナカトシオ
スクリプター:堺謙一 
助監督:堀内孝三 ホリウチコウゾウ
照明:中川孝一 ナカガワコウイチ
キャスト(役名
中野誠也 ナカノセイヤ (永野信夫
岡本久人 オカモト (永野信夫少年時代
武内亨 タケウチトオル (永野貞行)
岩崎加根子 イワサキカネコ (永野菊)
村瀬幸子 ムラセサチコ (永野トセ)
田中美香 タナカミカ (永野待子)
長谷川哲夫 ハセガワテツオ (吉川修)
坂上也寸志 サカガミヤスシ (吉川少年時代
佐藤オリエ サトウオリエ (吉川ふじ子)
柿崎澄江 カキザキスミエ (吉川ふじ子少女時代
浅若芳太郎 アサワカヨシタロウ (吉川吉造)
野村昭子 ノムラアキコ (吉川たみ)
坂田多恵子 サカタタエコ (吉川芳)
永井智雄 ナガイトモオ (六造)
近藤洋介 コンドウヨウスケ (和倉礼之助)
阿部百合子 アベユリコ (和倉米子
執行佐智子  (和倉美沙)
新克利 アタラシカツトシ (三堀峰吉)
中村美代子 ナカムラミヨコ (三堀キヨ
滝田裕介 タキタユウスケ (伊木一馬)
田中幸四郎 タナカコウシロウ (原)
解説
列車事故を身を挺して車輪の下敷になって喰い止め国鉄職員の、純愛信仰に貫ぬかれた生涯を描く。三浦綾子同名小説映画化脚本楠田芳子監督は「辻が花」の中村登撮影は「恋は放課後」の竹村博担当
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
名寄札幌行き蒸気機関車が、二両の客車をひいて塩狩峠をあえぎながら登っていく。国鉄職員信夫にとって、今日は特別の日だった。札幌で幼な馴染のふじ子との結婚式当日なのだ。信夫同乗していた行商人の六造との昔語りの中で、遠い追憶中に浸った。明治十九年・東京−−。信夫の母・菊は熱心なキリスト教徒だったために、祖母のトセから離別を言いわたされた。トセには頭の上らない、父・貞行は離婚をせずに菊を別宅に住まわせた。数年後、トセが死に、菊は家に戻って来たが、小学生信夫美しい菊が母親であることに内心嬉しかったが、キリスト教を信じている母が不気味でもあった。信夫小学校同級吉川と気が合った。吉川には生まれながら足の不自由なふじ子という妹があった。やがて吉川一家北海道へ渡っていった。明治三十二年夏・札幌−−。信夫吉川誘いに応じて、札幌北海道炭鉱鉄道就職した。そのころふじ子はカリエス三年越し病床にあった。しかし信夫は、十九歳の彼女の美しさ、明るさに目を見張った。ある日、信夫主任和倉から娘を貰ってほしいと頼まれた。しかし、信夫はすでにふじ子に心を寄せており、吉川にふじ子を妻に欲しい、と正式に申込んだ。そして、吉川から、ふじ子はキリスト教徒だと知らされた。そこで初め信夫はふじ子のかげりのない静かな微笑の原因が分ったような気がした。信夫聖書を熱心に読み始めた。その頃、信夫同僚の三堀が盗難事件起こしたことを知り、自分が責任を持って彼を更生させるべき決心をした。明治三十三年春・旭−−。和倉信夫と三堀は旭川官営鉄道へと移った。信夫は心のねじれた三堀に手を焼いたが、仕事傍ら日曜学校先生になり、子供たちと一緒に讃美歌を唱い、祈る信夫の目は生生と輝いていた。信夫は歩けるようになったふじ子と結婚することになり、札幌行き列車に乗った。信夫長い追憶がつき破られた「汽車離れた!」。塩狩峠をあえぎ、あえぎ登っていた最後客車連結器離れ逆走しはじめたのだ。直線の先の急カーブは曲りきれない。信夫の瞼に花嫁姿のふじ子が映る。合掌したまま信夫デッキから身を翻えした。車内にガクンと強い衝撃車輪は止まっていた。五月信夫受難場所を示す白木の標の前にたたずむ、ふじ子、吉川、そして菊。さわやかな嵐の中に汽笛遠く悶える


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塩狩峠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/08/09 12:43 UTC 版)

国道40号標識

塩狩峠(しおかりとうげ)とは、北海道比布町和寒町の間にあるである。標高263m。北緯44度付近に位置する天塩国石狩国の境界にあり、天塩川水系と石狩川水系の分水界上でもある。また、道央道北の境界とされる場合もある。

1900年(明治33年)に現在の宗谷本線が、2000年(平成12年)には道央自動車道が峠を貫いて開通した。

鉄道事故

1909年(明治42年)2月28日、ここ塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄(ながの まさお)という男が列車に身を投げ、客車の下敷きとなり乗客の命が救われたという事故が起こった。現在、塩狩峠の頂上付近にある塩狩駅近くには、この事に対する顕彰碑が立てられている。

なお、1947年(昭和22年)9月1日、類似した事故が長崎県の旧時津村(現・西彼杵郡時津町)の打坂峠で起こっている(詳しくは打坂地蔵尊を参照されたい)。

小説「塩狩峠」について

この実話を元に、三浦綾子小説塩狩峠』を著し、1966年(昭和41年)4月から約2年半にかけて日本基督教団出版局の月刊雑誌『信徒の友』に掲載された。これを記念し、塩狩駅近くには、塩狩峠記念館及び文学碑が建てられた。のちにこの作品は、松竹(監督:中村登、主演:中野誠也)によって映画化もされている。

道徳の教科書

小説版の話を元に埼玉県の道徳の教科書『かけがえのないきみだから』(3年生版)に塩狩峠が掲載されている。






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