塩原の大山供養田植とは? わかりやすく解説

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塩原の大山供養田植

名称: 塩原の大山供養田植
ふりがな しおはらのだいせんくようたうえ
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 小奴可地区芸能保存会
指定年月日 2002.02.12(平成14.02.12)
都道府県(列記): 広島県
市区町村(列記): 比婆郡東城町大字塩原
代表都道府県 広島県
備考
解説文:  塩原の大山供養田植は、太鼓や歌でにぎやかに囃【はや】しながら共同で行う田植である。田植あわせて牛馬守護大山だいせん信仰背景牛馬供養も行うので大山供養田植呼んでいる。
 広島県比婆郡東城町同県東北部岡山県との県境にあたる。塩原地区は同町北部の山あい集落である。塩原周辺は農耕とともに砂鉄製鉄が行われ、牛馬農作業加えて木炭運搬でも重要であった塩原地区東南に多飯【おおい】が辻【つじ】山があり、その山頂近く牛馬守護信仰集め鳥取県大山だいせん神社迎えた大仙だいせん神社がある。
 農作業なかでも田植は、機械化が進む前は大勢人手が必要であった東城町では何軒かの農家共同田植行った。その田植では、太鼓打ち田植歌歌って田植作業先導する役の者が一人加わっていた。同地域では、そのように太鼓と歌で囃す田植をタイコタウエやタイコダ、シゴトダなどと呼び昭和二十年一九四五)ころまで続けていた。また地域田植最後に大地主の田などではオオタウエ呼ばれる田植締めくくり祝祭的で大規模な田植があった。大山供養田植は、オオタウエ牛馬供養大山信仰が組みあわさつた特別な田植である。
 塩原の大山供養田植は、田植の終わる時期適当な田を決めて随時行われてきた。昭和五十年(一九七五)に記録作成等の措置講ずべき無形民俗文化財選択されてからは昭和五十一年一九七六)、同五十五年(一九八〇)に行われ、同六十年(一九八五)からは四年目ごとに、塩原地区の石【いし】神社の前の田で公開されている。
 この供養田植は、田植踊牛馬供養、牛による田の代【しろ】かき、太鼓と歌にあわせた田植翌日大仙神社へのお札納【ふだおさ】めで構成される
 田植前日、田の近く丸太供養【くようだな】を設置する中央通路設けたのような形で幅八メートル奥行メートル、床の高さ二メートルほどである。田に向かって通路左側仏事右側神事の席になる。苗代なわしろ】では早乙女たちが取って束ねておく。男性たちは田の畦【あぜ】の一端に土を盛り上げて塚を作り、フクラシ(冬青【そよこ】)のと薄【すすき】一二本をさす。田の神迎える場所でサンバイヤシロと呼ばれる
 当日になると午前九時過ぎに、塩原地区周辺から二〇頭ほどの牛が公民館集まり、牛の頭部に赤い太紐を巻いたり、飾鞍【かざりくら】などで飾り付けその後、牛の行列順を決める。
 昼過ぎ田植踊が始まる。天狗面の露払つゆはらい】、御幣【ごへい】持ち拍子木ひょうしぎ】を持った音頭取おんどとり】、滑稽な仮面付けササラ持ったササラスリ、白い法被【はっぴ】に菅笠すげがさ】をかぶり締太鼓を腰に付けサゲ、そろいの浴衣【ゆかた】姿の早乙女たちが列を作って進み途中で早乙女たちが輪になって田植歌サゲ太鼓にあわせ、田植動作取り入れた所作で踊る。
 田植踊が終わると、飾り牛が列を作って供養に向かう。では神職大祓おおはらい】と僧侶回向【えこう】が行われている。をくぐるときに牛主【うしぬし】は神職から小さな御幣を、僧侶から供養【くようふだ】と大般若経だいはんにゃきょう一巻授かってに付けて田に向かう。田にはいった牛の列は、複雑に決められ経路歩いて代かきを行う。
 代かきが終わると、絣【かすり】の着物手拭てぬぐい】かぶりの早乙女サゲたちが、田植踊と同じ行列に、新たに少女三名加えて供養に向かう。少女たちは、神職からサンバイナエと呼ばれる稲束一束ずつ、早乙女頭取とうどり三名小さな御幣授かるくぐってサゲ少女は田の畦に並び早乙女たちは田の中にはいってサゲ向かいあって横一列に並ぶ。早乙女頭取三名が、少女からサンバイナエを受け取って他の早乙女たちに分配する最初のひと植えは、こので行うことになっている
 等間隔植えるための見当として、早乙女たちの手前の田の上に、適切な間隔目印付けた綱を横一杯張る三名男性が、綱の両端中央につけた棒で綱を引きあいながら田に押しつける音頭取拍子木合図田植が始まる。サゲ太鼓にのせて音頭取が歌の前半歌い後半早乙女たちが歌いながら植える。一つの歌で、その列の田植が終わると、綱を一幅下げ早乙女たちが一歩後退し次の歌に移って植えていく。ササラスリは、早乙女の腰をササラの棒で突いたりして笑いを誘う

塩原の大山供養田植

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/02 08:19 UTC 版)

塩原の大山供養田植(しおはらのだいせんくようたうえ)は、広島県庄原市(旧・東城町大字塩原)に伝わる民俗芸能の田楽




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