堀口九萬一
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堀口 九萬一(ほりぐち くまいち、1865年2月23日(元治2年1月28日) - 1945年(昭和20年)10月30日)は、日本の外交官、漢詩人、随筆家。号は長城。詩人、堀口大學の父として知られる。
- ^ 高晟埈「旧李王家東京邸内の武石弘三郎作大理石浮彫について [Takeishi Kôzaburô's marble relief in the former residence of Lee Eun in Tokyo]」 (pdf) 『新潟県立近代美術館研究紀要』第11号、新潟県、2012年。
- ^ a b 長岡市 [編]「堀口九萬一」 『流芳後世 : 長岡の人々』長岡市、1942年、21-22頁 。
- ^ a b 松村 2010, p. 2/4.
- ^ “外交官「王妃殺した」と手紙に 126年前の閔妃暗殺事件で新資料:朝日新聞デジタル” (日本語). 朝日新聞デジタル. 2021年11月16日閲覧。
- ^ 「敍任及辭令 : 堀口九萬一外二名(内閣)」『官報』1898年5月11日、 125頁。
- ^ 待命中本俸全額を支給される。「敍任及辭令 : 堀口九萬一(外務省)」『官報』1899年9月12日、 172頁。
- ^ a b 松村 2010, p. 3/4.
- ^ 細野昭雄 (2012) (PDF). 「坂の上の雲」の時代の日本とラテンアメリカ. 国際開発研究者協会. pp. 3-4 2017年12月1日閲覧。.
- ^ 公使館一等書記官に任ぜられる。「敍任及辭令 : 堀口九萬一等(外務省)」『官報』1913年7月2日、 35頁。
- ^ a b 外務省外交資料館「Question 9 : 1913 年(大正2 年)にメキシコでクーデターが起きた際、マデロ大統領の親族が日本公使館へ避難したと聞きましたが、これに関係する記録はありますか。」 『外交史料Q&A』平成21年 (8月)、外務省、2009年8月、9頁 。
- ^ “「サムライ外交官」たたえる式典 メキシコ大使館で”. 日本経済新聞. (2015年7月11日) 2017年12月1日閲覧。
- ^ マデロ大統領家族に対する日本公使館の庇護に関するメキシコ連邦上院決議記念プレート除幕式及びメキシコ空手連盟による空手道実演 - 在メキシコ日本国大使館
- ^ 蘭国在勤を免ぜられる。「敍任及辭令 : 堀口九萬一(外務省)」『官報』1899年7月5日、 68頁。
- ^ スペイン (西班牙国) 在勤を命ぜられる。「敍任及辭令 : 堀口九萬一等(外務省)」『官報』1913年5月28日、 629頁。
- ^ 「敍任及辭令 : 堀[口九萬一等(内閣)]」『官報』1914年7月7日、 158頁。
- ^ ブラジル(伯剌西爾)特任全権公使に任ぜられる。「敍任及辭令 : 堀口九萬一等(内閣)」『官報』1918年7月16日、 p388。
- ^ 『朝日新聞記者の見た昭和史』中野五郎著
- ^ “堀口九萬一氏の中南米訪問”. 財団法人国際文化振興会事業報告書 昭和10年度. 国際文化振興会. (1937). p. 45-46 .
- ^ 高木武 [編]「二四 英國民と米國民」 『大日本読本改制第一版教授資料』 4巻、冨山房、1938年、139-146頁。
- ^ 大泉和文 『コンピュータ・アートの創生: CTGの軌跡と思想 1966-1969』NTT出版、2015年11月、56頁。ISBN 978-4-7571-0361-0 。
- ^ 大泉 2015, p. 63.
- ^ 『官報』第1105号「叙任及辞令」1916年4月11日。
- ^ 西班牙国皇帝陛下より贈与された「イザベル・ラ・カトリック」星章付第二等勲章を受領し及び佩用を允許される。「[1]」『官報』1917年12月29日、 946頁。
- 1 堀口九萬一とは
- 2 堀口九萬一の概要
- 3 栄典
- 4 外部リンク
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