埴輪武装男子立像
主名称: | 埴輪武装男子立像 |
指定番号: | 35 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1958.02.08(昭和33.02.08) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 群馬県太田市(旧新田郡九合村)出土 |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 古墳 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 武具を着装し、武器を装備した武人埴輪である。きりっと結んだ口元と、深く切りこまれた目には武人としての気品と風格があり、甲胄を着け、弓や大刀の柄をにぎりしめてその動作を巧みにとらえている。東日本では武人埴輪が多く発見されているが、本埴輪は大きさもあり、各部分の製作もていねいで保存状態もよく、最も優れた作品である。 |
埴輪武装男子立像
主名称: | 埴輪武装男子立像 |
指定番号: | 189 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1958.02.08(昭和33.02.08) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 群馬県新田郡強戸村成塚出土 |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 古墳 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 古墳時代の資料。 |
埴輪武装男子立像
埴輪 挂甲武人
(埴輪武装男子立像 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/05 22:34 UTC 版)
埴輪 挂甲武人(はにわ けいこうぶじん)は、東京国立博物館が所蔵する甲冑をまとい武装した6世紀代の人物形象埴輪である。古墳時代の埴輪として初めて国宝に指定されたものであり、2020年(令和2年)9月30日に綿貫観音山古墳出土埴輪群が国宝となるまでは、唯一の国宝埴輪であった[注 1][1][2][3][4]。
注釈
- ^ a b 2020年(令和2年)3月19日に国の文化審議会が、群馬県高崎市の綿貫観音山古墳出土品で、武人埴輪を含む3346点について国宝(美術工芸品)に指定するよう文部科学大臣に答申し、同年9月30日の官報(号外)告示にて国宝に指定されたため、「唯一」ではなくなった。
- ^ 太田市飯塚町には2つの「長良神社」があった。うち1つは太田市立九合小学校の南に現存する長良神社であり、もう1つは現存しない「マツバラの長良神社」である。(田中 ほか(2015))によれば、国宝の埴輪が出土したのは、後者の現存しない神社の境内であった。出土状況など詳細は不明だが、1952年(昭和27年)5月29日付で東京国立博物館が個人所有者から購入したという[5]。また、破片の接合や欠損部への石膏の補填は博物館が購入する前に行われていたようで、同年以後の修理記録は存在しなかった[7]
- ^ 甲冑の設計・構造に関する用語として、綴(とじ)・鋲留(びょうどめ)が鉄板同士を完全に固定する連接法であるのに対し、縅(おどし)は紐を小札の孔に連続的に通すことで鉄板に可動性を与えた連接法である[12]。
- ^ 1990年代以降、古墳時代の小札で縅した甲に「挂甲」の語をあてるのは不適切であることが指摘され、現在の考古学界では「小札甲」や「札甲」と呼ぶようになってきている。
- ^ 人物埴輪は5世紀後半に登場し、初期は巫女をかたどったものが多く、6世紀に入ると関東地方を中心とした発展がみられる。関東の人物形象埴輪は、古墳調査における出土状況によって、首長の葬送儀礼もしくは首長権継承儀礼を表現したと考えられる配置が複数例確認されている[22]。
- ^ シアトル美術館所蔵のものが似ているが、杉山はアメリカのどの博物館の所蔵品かまでは明確に述べていない。
出典
- ^ a b c d e f g h i “埴輪 挂甲の武人”. e国宝-国立博物館所蔵国宝・重要文化財-. 2020年4月21日閲覧。
- ^ a b “高崎・綿貫観音山古墳からの出土品が国宝に-文化審議会が答申-”. 上毛新聞. (2020年3月20日) 2020年4月21日閲覧。
- ^ “文化審議会答申-国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について-”. 文化庁 (2020年3月19日). 2020年4月21日閲覧。
- ^ a b c 「重要文化財を国宝に指定する件(文部科学大臣告示116号)」『令和2年(2020年)9月30日官報(号外第203号)』日本政府、2020年9月30日 。2020年9月30日閲覧。
- ^ a b c 古谷 2015, p. 15.
- ^ 群馬県古墳時代研究会 1995, p. 75.
- ^ a b “トーハクのプリンス「埴輪 挂甲の武人」が大修理だほ!”. 東京国立博物館. 2020年5月2日閲覧。
- ^ “埴輪武装男子立像”. 文化遺産オンライン. 2020年4月21日閲覧。
- ^ “バンク・オブ・アメリカの芸術・文化支援”. バンク・オブ・アメリカ・メリルリンチ. 2020年5月2日閲覧。
- ^ “歴史を語る「ぐんまの埴輪」1”. 群馬県. 2020年4月21日閲覧。
- ^ a b 文化遺産オンライン「埴輪 挂甲の武人」
- ^ 阪口 2001, p. 35.
- ^ 橋本 2009, pp. 27–30.
- ^ 横須賀 2009, p. 19.
- ^ “金鈴塚古墳 衝角付冑”. 文化遺産オンライン. 2020年4月21日閲覧。
- ^ 内山 2017, pp. 1–10.
- ^ 川畑 2015, pp. 133–136.
- ^ 鳥取市教育委員会 2018, pp. 26–30.
- ^ 群馬県埋蔵文化財調査事業団 2013, pp. 1–2.
- ^ “埴輪 挂甲武人”. 東京国立博物館(名品ギャラリー). 2020年4月21日閲覧。
- ^ 塚田 2007, pp. 159–166.
- ^ 小笠原 1992, pp. 168–171.
- ^ a b 国指定文化財等データベース「埴輪武装男子立像」(文化庁)
- ^ a b “参考館セレクション”. 天理参考館. 2020年4月21日閲覧。
- ^ a b c 群馬県古墳時代研究会 1995, p. 95.
- ^ 群馬県古墳時代研究会 1995, p. 91.
- ^ “展示・収蔵”. 相川考古館. 2020年4月21日閲覧。
- ^ “埴輪武装男子立像”. 伊勢崎市. 2020年4月21日閲覧。
- ^ “ハニワ戦士図”. シアトル美術館. 2020年4月21日閲覧。
- ^ 杉山 2003, pp. 45–49.
- ^ a b “指定文化財〈重要文化財〉埴輪武装男子半身像”. 宮城県 (2019年2月14日). 2020年4月21日閲覧。
- ^ 群馬県古墳時代研究会 1995, p. 121.
- ^ 群馬県古墳時代研究会 1995, p. 99.
- ^ 群馬県古墳時代研究会 1995, p. 100.
- ^ 杉山 2009, p. 17.
- ^ a b 吉澤 2018, p. 8.
- ^ “埴輪 挂甲の武人”. 文化遺産オンライン. 2020年4月21日閲覧。
- ^ “国・県・市指定文化財一覧”. 鴻巣市. 2020年4月21日閲覧。
- ^ “第19回こちら館長室 ゆるキャラ“はにたん”を考古学する”. 高槻市今城塚古代歴史館. 2020年4月21日閲覧。
- ^ 古谷 2015, p. 16.
- ^ 航空自衛隊 新田原基地 [@JASDF_Nyutabaru] (2022年2月22日). "新田原基地「武人埴輪」ストーリー①:飛行隊マークへの採用 以前、新田原基地に所属していた第202飛行隊設立当初から飛行隊マークとして使用していました。OBによると「平和台公園のはにわ園の武人埴輪(宮崎県未出土)から国の防人にふさわしい」と採用に至ったそうです。空の守りの象徴です。". X(旧Twitter)より2022年5月11日閲覧。
- ^ “国宝シリーズ第3集~東京国立博物館創立150年~”. 日本郵便. 2022年11月18日閲覧。
- ^ 古谷, 毅「名宝細見『埴輪 挂甲武人』」『be(朝日新聞別冊版)』、2014年4月5日、7面。
- 1 埴輪 挂甲武人とは
- 2 埴輪 挂甲武人の概要
- 3 社会との関わり
- 4 外部リンク
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