埴輪武装男子像
埴輪 短甲の武人
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 11:41 UTC 版)
埴輪 短甲の武人(はにわ たんこうのぶじん)は、埼玉県熊谷市中条の中条古墳群から出土した、板甲(短甲[注 1])と呼ばれる甲(鎧)と衝角付冑と見られる冑(兜)を着用して武装した人物形象埴輪である[注 2]。短甲武人埴輪とも表記される[6]。国の重要文化財に指定されており[7][8][9]、文化財としての正式名は「埴輪武装男子像」(はにわぶそうだんしぞう)である[10]。
注釈
- ^ 古墳時代の甲冑について、末永雅雄の体系的な研究以来[1][2]、板造り(帯金式甲冑:おびかねしきかっちゅう)のものを「短甲」、小札造りのものを「挂甲」と呼ぶことが現在では一般化しているが、これは奈良時代の文献史料に見える奈良時代の甲冑の名称(短甲・挂甲)を、古墳時代の古墳から出土する考古資料の甲冑に便宜的に当てはめたもので、今日の研究では古墳時代の甲冑と、奈良時代の甲冑(短甲・挂甲、※両者とも小札甲)が、形態や構造の面で全く一致していないことが解ってきたため[3][4]、古墳時代の甲は「板甲・札甲(小札甲)」と呼び、「短甲・挂甲」と呼ぶべきではないとする橋本達也らの指摘が出てきている[5]。
- ^ 古代の甲冑は、考古学用語では「鎧(よろい)」・「兜(かぶと)」ではなく「甲(よろい)」・「冑(かぶと)」と表記される。
- ^ 著名なものでは国宝の埴輪 挂甲武人がある。
出典
- ^ 末永 1934.
- ^ 末永 1944.
- ^ 宮崎 1983.
- ^ 宮崎 2006, pp. 6–18.
- ^ 橋本 2009, pp. 27–30.
- ^ “常設展示室 出土遺物の部屋 短甲武人埴輪”. 熊谷市Web博物館. 2024年1月10日閲覧。
- ^ “埴輪 短甲の武人”. 文化遺産オンライン. 2024年1月10日閲覧。
- ^ a b c d e f “埴輪 短甲の武人”. ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム). 2024年1月10日閲覧。
- ^ a b c d “埴輪 短甲の武人”. e國寶(国立文化財機構所蔵国宝・重要文化財). 2024年1月10日閲覧。
- ^ a b “埴輪 武装男子像”. 国指定文化財等データベース(文化庁). 2024年1月10日閲覧。
- ^ 中島 & 大和 1991, p. 16.
- ^ a b c d e “コラム16古代との遭遇6-流転の短甲武人埴輪-”. 熊谷市立江南文化財センター (2012年10月4日). 2024年1月10日閲覧。
- ^ “馬形埴輪”. ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム). 2024年1月10日閲覧。
- ^ “埴輪馬”. 国指定文化財等データベース(文化庁). 2024年1月10日閲覧。
- ^ a b c d 塚田 2007, p. 28.
- ^ “教員プロフィール・塚田良道”. 大正大学. 2024年1月10日閲覧。
- 1 埴輪 短甲の武人とは
- 2 埴輪 短甲の武人の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
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