土居まさるとは? わかりやすく解説

土居まさる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/20 08:51 UTC 版)

土居 まさる(どい まさる、1940年昭和15年〉8月22日[1] - 1999年平成11年〉1月18日)は、日本アナウンサー文化放送 → フリー)、ディスクジョッキータレント司会者。本名は平川 巌彦(ひらかわ よしひこ)。


注釈

  1. ^ 土居の死去後は中田秀作(文化放送アナウンサー(当時))が代役を務めた。
  2. ^ 実況アナウンサーは別に、SFから用意していた。
  3. ^ 後年、さとう宗幸によりカバーされ、シングル(「CALENDAR」)も発売された。
  4. ^ オリジナルはヴィレッジ・シンガーズ

出典

  1. ^ a b c d e f 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、111 - 112頁。NDLJP:12276264/56 
  2. ^ 2011.09.23 土居まさるの「私の歴史館」
  3. ^ 「土居は在京 民放ラジオ局のラジオ番組を聴いて、リスナーから人気がある出演者の喋り方と話し方を常に研究していた。ニッポン放送で当時、夜帯に放送中のラジオ番組『青島幸男のまだ宵の口』を毎晩 聴いて、青島の口調を真似していた。土居の喋り口調はそこから始まった」と土居と同期入社の元 文化放送ディレクター(後の同局プロデューサー)田中秋夫は回想している。『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』p.48 - 49 DISC UNION 2015年 発行。ISBN 978-4-907583-63-7
  4. ^ ラジオパラダイス』(三才ブックス)1987年4月号特集「深夜放送20周年ぐらふぃてぃ」23頁より。
  5. ^ 歴代の燦々ぬまづ大使の皆さん”. ぬまづの人. 静岡県沼津市. 2010年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月14日閲覧。
  6. ^ 田中秋夫は「『真夜中のリクエストコーナー』放送当時の文化放送 アナウンス部はNHK的なアナウンスメントを基本とする事を社是としていたので、土居に対する批判は文化放送の社内で相当な物だった」と回想している。『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』p.48 - 50 DISC UNION 2015年 発行。ISBN 978-4-907583-63-7
  7. ^ 土居まさる~深夜ラジオのパイオニア_大人のMusic Calendar_大人のミュージックカレンダー2020年4月4日閲覧。
  8. ^ 「山梨日日新聞 1974年4月24日付テレビ欄」より。
  9. ^ 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』中国放送50年史編さん委員会 編、2002年10月、p.240。


「土居まさる」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「土居まさる」の関連用語

土居まさるのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



土居まさるのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの土居まさる (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS