土佐光親とは? わかりやすく解説

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土佐光親

読み方とさ みつちか

江戸前中期画家。光起の次男。号は素絢斎、薙髪後は了仙、通称宮内備後福山藩の臣となって姓を安川改め針医を業とする。画法は父に学びの画を最も得意とした。貞亨頃(1684~1687)の人。

土佐光親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/23 07:58 UTC 版)

土佐 光親(とさ みつちか、1646年正保4年)以降・1656年明暦2年)以前 - 1730年10月28日享保15年9月17日[1])は、江戸時代前期から中期の土佐派の画家、鍼灸医。通称、宮内。号に素絢斎など。法名は了仙。


  1. ^ 没年は「土佐家没年目録」(明治43年(1910年京都市立芸術大学蔵)より(松尾芳樹 「近世土佐派記録集(一)」『京都市立芸術大学芸術資料館年報』第3号、1993年8月25日)。生年は、「海棠に鶉図」の款記「行年七十五歳」から逆算で、兄・光成の生年を遡ることはないとの判断から。
  2. ^ 知念理編集 『特別陳列 土佐光起生誕400年 近世やまと絵の開花 ー和のエレガンスー』 大阪市立美術館、2017年9月2日、第42図。


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