国府台合戦とは? わかりやすく解説

国府台合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 13:35 UTC 版)

国府台合戦(こうのだいかっせん)は、戦国時代下総国国府台城(現在の千葉県市川市)一帯で北条氏里見氏をはじめとする房総諸将との間で戦われた合戦である。天文7年(1538年)の第一次合戦永禄6年(1563年)と7年(1564年)の第二次合戦に大別される(「第二次合戦」は近年まで同じ国府台で行われた2回の合戦を同一の合戦のものと誤解されてきたために1個の合戦として扱われている)。


  1. ^ 回廊マップ Part 3 松戸市公式ホームページ 2011-04-08
  2. ^ 黒田基樹「北条氏綱論」『伊勢宗瑞』戒光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第二一巻〉、2016年。ISBN 978-4-86403-200-1 
  3. ^ 千野原靖方 2004, p. 93.
  4. ^ 長塚孝「氏康と古河公方の政治関係」黒田基樹編 『北条氏康とその時代』 戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 2〉、2021年7月。ISBN 978-4-86403-391-6 P248.
  5. ^ 佐藤博信「小弓公方足利氏の成立と展開」『歴史学研究』635号、1992年。 /所収:佐藤博信『中世東国政治史論』塙書房、2006年。ISBN 978-4-8273-1207-2 
  6. ^ 滝川恒昭「第一次国府台合戦再考」『千葉史学』75号(2019年)
  7. ^ 長塚孝「氏康と古河公方の政治関係」黒田基樹編 『北条氏康とその時代』 戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 2〉、2021年7月。ISBN 978-4-86403-391-6 P245.
  8. ^ 軍記等では信茂の父・「槍大膳」時茂の活躍ぶりが描かれているが、近年の研究において第二次合戦当時にはすでに時茂は病死していたことが明らかとなっており、実際には信茂の戦功だったと言われる。
  9. ^ 滝川恒昭 著「戦国期の上総国佐貫に関する一考察-加藤氏・佐貫城も検討を中心に-」、佐藤博信 編『中世東国の社会と文化』岩田書院〈中世東国論 7〉、2016年。ISBN 978-4-86602-981-8 


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