国安氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/21 07:45 UTC 版)
国安氏(くにやすし)は、日本の氏族のひとつ。
注釈
- ^ 国安村、茨城県山田村国安、水府村国安、現:常陸太田市国安町要害山。松平村(松平町)の北隣。
- ^ 『佐竹系図』によれば「貞義七子師義 久慈郡山入郷より始起こる 掃部助 刑部大輔 久慈郡国安高館にあり、その地山谷の間にあるを以て人呼んで山入と因うて氏となす 尊氏に従って歴戦功あり、その鎮西にあり豊後鞴浜に戦いて天龍寺を落とす時に従軍す 正平七年 師義 尊氏に従って畠山国清を討ち播磨小清水雀松原等諸々に戦ふ 尊氏利非ず攝津松岡城に走る 敵復り攻む、師義拒戦して死す 尊氏其の子孫を遇するに特に厚し、 国安、高柿、松平、小田野、小里郷陸奥依上保等を與ふ」とある。[4]。
- ^ 二階堂氏は本姓は藤原氏。家系は藤原南家の工藤氏を祖とし、陸奥国岩瀬郡を支配した国人領主で須賀川城主の家柄である。国安氏の祖 佐竹師義の母は二階堂下総守頼綱であることから、その縁で養子入りしたものか。ただし、同記録でいう又兵衛がいずれの代のものかは不詳。[2]
出典
- ^ a b c d 太田 1934, p. 2103.
- ^ a b 杉本 1997, p. 503.
- ^ 日本家紋研究会 2001, p. 17.
- ^ 大内 1991, p. 5.
- ^ 大内 1991, p. 57.
- ^ 大内 1991, p. 106.
- ^ 秋田県公文書館 2001, p. 92.
- ^ 常陸太田市史編さん委員会 1982, p. 189-191.
- ^ 秋田県公文書館 2002, p. 61.
- ^ 秋田県公文書館、茨城県立歴史館蔵安島吉兵衛同主税筆『系図 佐竹山城家人安島吉兵衛』
- ^ 前掲秋田県公文書館、茨城県立歴史館蔵安島吉兵衛同主税筆『系図 佐竹山城家人安島吉兵衛』
- ^ 前掲秋田県公文書館編『系図目録I』94頁、前掲秋田県公文書館編『系図目録II』61頁。
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