四道将軍とは? わかりやすく解説

しどう‐しょうぐん〔シダウシヤウグン〕【四道将軍】

読み方:しどうしょうぐん

崇神天皇の時、四方派遣されたと伝えられる四人将軍東海武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、北陸大彦命(おおひこのみこと)、西道吉備津彦命(きびつひこのみこと)、丹波丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)。


四道将軍

読み方:シドウショウグン(shidoushougun)

古代伝説四人将軍崇神朝に四道派遣されたという。


四道将軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 15:27 UTC 版)

四道将軍(しどうしょうぐん、古訓:よつのみちのいくさのきみ)は、『日本書紀』に登場する皇族王族)の将軍で、大彦命(おおびこのみこと)、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、吉備津彦命(きびつひこのみこと)、丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)の4人を指す。[1]


  1. ^ a b 「以大彦命遣北陸。武渟川別遣東海。吉備津彦遣西道。丹波道主命遣丹波。因以詔之曰。若有不受教者。乃挙兵伐之。既而共授印綬為将軍。」日本書紀(朝日新聞社本)
  2. ^ 「四道将軍以平戎夷之状奏焉。」日本書紀(朝日新聞社本)
  3. ^ 『日本の歴史 第1巻 神話から歴史へ』中央公論社,1964 文庫新版,2005,ISBN 978-4122045477
  4. ^ 『古事記』は崇神天皇の没年を戊寅年と記し、258年または318年とする説が有力である。
  5. ^ 川口勝康(首都大学東京教授)は次のように解説する。「稲荷山古墳出土の鉄剣銘文中の乎視居臣 (おわけのおみ) なる人物の系譜にみえる上祖の意富比魁は、オホヒコとよまれ、記紀の大彦命にあたる可能性が高い(平凡社『世界大百科事典』)」。また、岸俊男(京都大学名誉教授)は次のように解説する。「ヲワケを東国国造の系譜に属する者と考える説と、上祖オホヒコを記紀に阿倍臣や膳臣 (かしわでのおみ) の始祖としてみえる孝元天皇の皇子大彦命とし、あるいは杖刀人は阿倍臣に従属する丈部(はせつかべ) であるとみて、ヲワケを中央豪族の一員と考える説に大きく見解が分かれている(平凡社『世界大百科事典』)」。安本美典は、『本朝皇胤紹運録』によると「大彦命」の孫は「豐韓別命」であり、鉄剣銘文の「意富比垝(オホヒコ)」の孫「弖已加利獲居(テヨカリワケ)」と読み方が似ているとする(倭王武と雄略天皇 稲荷山古墳出土鉄剣銘文)。また、豐韓別命は武渟川別の子とされるが、鉄剣銘文では弖已加利獲居は多加利足尼の子である。
  6. ^ 安本美典 『巨大古墳の主がわかった!』 JICC出版局 1991年。行燈山古墳は文久の修陵の際に修復が行われており、被葬者については異説もあること、また中山茶臼山古墳は吉備の中山の自然の地形を利用して築造されていることに注意。
  7. ^ 『ここまでわかった! 「古代」謎の四世紀』 新人物文庫 2014年 ISBN 978-4-04-600400-0 p.171.
  8. ^ 同『ここまでわかった! 「古代」謎の四世紀』 p.171.
  9. ^ 同『ここまでわかった! 「古代」謎の四世紀』 p.161.


「四道将軍」の続きの解説一覧

四道将軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:55 UTC 版)

崇神天皇」の記事における「四道将軍」の解説

即位9年天皇は神が夢に現れたと称し大和国東口座す墨坂神と西口座す大坂神を盾と矛をもって祀った即位10年、四道将軍を派遣して全国教化する宣言した大彦命北陸道に、武渟川別東海道に、吉備津彦西道に、丹波道主命丹波山陰道)に将軍として遣わし従わないものを討伐させることとなった。しかし北陸出発した大彦命は和珥坂(わにのさか、奈良県天理市)で現れ不思議な童女から不吉な歌を聴くことになる。 御真木入日子はや 己が命を 殺せむと 竊まく知らに 姫遊すも大城戸より 窺ひて 殺さむと すらくを知らに 姫遊すも 引き返して報告したところ、倭迹迹日百襲姫命がさらに詳細な予言行ったその結果、武埴安彦(たけはにやすびこ、孝元天皇皇子)が謀反起こそうとしていることがわかった叛乱露見した武埴安彦は山背から、妻の吾田媛は大坂からともに都を襲撃しようとした。天皇五十彦命(吉備津彦命)を遣わして吾田媛勢を迎え討ち一方の武埴安彦勢には大彦命彦国葺(ひこくにぶく、和珥氏の祖)を差し向かわせて打ち破った叛乱終息後に四道将軍は再出発し翌年帰還し戎夷を従わせたことを報告した。また北陸道進んだ大彦命東海道進んだ武渟川別親子合流した土地相津会津)という。

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四道将軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:02 UTC 版)

官軍」の記事における「四道将軍」の解説

『日本書紀』によると、崇神天皇10年紀元前88年?)にそれぞれ北陸東海西道丹波派遣された。なお、この時期の「丹波国」は、後の令制国のうち丹波国丹後国但馬国を指す。教え受けない者があれば兵を挙げて伐つようにと将軍印綬授けられ、翌崇神天皇11年紀元前87年?)地方の敵を帰順させて凱旋したとされている。なお、崇神天皇3世紀から4世紀人物とされている。 北陸鎮撫 - 大彦命(おおびこのみこと)の軍隊 東海鎮撫 - 武渟川別命たけぬなかわわけのみこと)の軍隊 西道鎮撫 - 吉備津彦命(きびつひこのみこと)の軍隊 丹波鎮撫 - 丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)軍隊

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